後撰集と百人一首・小倉百人一首文芸苑

京都市右京区の嵯峨野に野宮神社(ののみやじんじゃ)という神社があります。

野宮神社は縁結びのご利益で有名な神社で、いつ参拝しても観光客の方たちで賑わっています。

その野宮神社の近くに何やら意味ありげな敷地があるのですが、参拝者の多くは見向きもせずに素通りしていきます。

私もこれまで全く気付かずにいたんですけどね。

この意味ありげな敷地は小倉百人一首文芸苑で、小倉百人一首に収録されている後撰集の歌7首の歌碑が置かれています。

後撰集と百人一首

下の写真に写っているのが、後撰集の歌碑が置かれている小倉百人一首文芸苑です。

後撰集と百人一首の敷地

後撰集と百人一首の敷地

嵯峨野にある小倉山は、百人一首の撰者の藤原定家が別荘の小倉山荘を営んだ地で、小倉百人一首と縁があります。

後撰集の他にも古今集や拾遺集などからも歌は選ばれていますね。

小倉百人一首文芸苑の説明書によると、後撰集は、「梨壺(なしつぼ)の五人」と称される大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)、清原元輔(きよはらのもとすけ)、源順(みなもとのしたごう)、紀時文(きのときふみ)、坂上望城(さかのうえのもちき)を撰者とし、天暦5年(951年)に村上天皇の勅命を受け昭陽舎(梨壺)に撰和歌所が置かれたとのこと。

成立は天暦9年前後で、約1,400首の歌からなっています。

恋の贈答歌が多く、藤原氏を中心とする公達(きんだち)たち、当時の社交界の花形たちが女房たちと様々に交わした恋の語らいや逸話が多彩に記されているということです。

野宮神社近くの小倉百人一首文芸苑には、後撰集に収録されている天智天皇、蝉丸、陽成院(ようぜいいん)、元良親王、三条右大臣、文屋朝康(ふんやのあさやす)、参議等(さんぎひとし)の7人の歌人の歌碑が置かれています。

それぞれ順番に見ていきましょう。

天智天皇

入口から一番近くにあるのが天智天皇の歌碑です。

天智天皇の歌碑

天智天皇の歌碑

「秋の田の かりほの庵(いほ)の 苫(とま)をあらみ わが衣手(ころもで)は 露にぬれつつ」

小倉百人一首の第一番の歌なので、ご存知の方が多いことでしょう。

説明書に記された歌意は以下のとおりです。

刈り取られた稲の見張り小屋で、ただひとりで夜を明かしていると、葺いてある屋根の苫の編み目が粗いので、私の着物はぐっしょりと夜露でぬれ続けていることよ。

なお、石碑の書は日比野光鳳さんのものです。

蝉丸

天智天皇の隣にあるのは蝉丸の歌碑です。

蝉丸の歌碑

蝉丸の歌碑

「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも あふ坂の関」

蝉丸の歌も割と有名ですね。

歌意は以下のとおりです。

これが都(京都)から東へ下っていく人も、都へ帰ってくる人も、顔見知りの人もそうでない人も逢っては別れ、別れては逢うというこの名の通りの逢坂の関なのだなあ。

なお、石碑の書は石田静子さんのものです。

陽成院

陽成院の歌碑は、上の部分に大きな穴が空いていて、何やら意味ありげですね。

陽成院の歌碑

陽成院の歌碑

「つくばねの 峰より落つる みなの川 こひぞつもりて 淵となりぬる」

陽成院の歌は小倉百人一首第十三番で歌意は以下のとおりです。

つくば山の峰から流れ落ちる男女川(おなのがわ)は、流れ行くとともに水量が増して淵(深み)となるように、私の恋心も、時とともに思いは深まり、今は淵のように深い恋になってしまった。

なお、石碑の書は池田桂鳳さんのものです。

元良親王

元良親王の歌碑はシンプルですね。

元良親王の歌碑

元良親王の歌碑

「わびぬれば 今はた同じ 難波(なには)なる みをつくしても あはむとぞ思ふ」

小倉百人一首第二十番で歌意は以下のとおりです。

うわさが立ち、逢うこともままならない今は、もはや身を捨てたのも同じこと。それならばいっそ難波潟の「みをつくし」ではありませんが、この身を捨ててもあなたにお逢いしたい。

なお、石碑の書は山本万里さんのものです。

三条右大臣

三条右大臣の歌碑は、ザラザラとした平らな面に歌が刻まれています。

三条右大臣の歌碑

三条右大臣の歌碑

「名にしおはば 逢坂山(あふさかやま)の さねかづら 人に知られで くるよしもがな」

小倉百人一首第二十五番で歌意は以下のとおりです。

逢坂山のさねかずらが、あなたに逢って寝るという意味を暗示しているなら、そのさねかずらの藁をくるくる手繰るように他人にしられず、あなたのもとへ来る方法がないものか。

なお、石碑の書は「奈良絵本百人一首」に記載されているもので、誰の書かは不詳です。

文屋朝康

文屋朝康の歌碑は、表面の色がまだらでデコボコもあるため、ちょっと読みにくいですね。

文屋朝康の歌碑

文屋朝康の歌碑

「白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける」

小倉百人一首第三十七番で歌意は以下のとおりです。

葉の上に降りた美しい白露に、しきりと風が吹きすさぶ秋の野、風で散ってゆく白露はまるで一本の糸で貫き止まっていない玉を、この秋の野に散りばめたようだなあ。

なお、歌碑に刻まれている書は芝山持豊のもので、文化5年版本に記載されています。

参議等

参議等の歌碑は、全体的に鋭さがありますね。

参議等の歌碑

参議等の歌碑

「浅茅生(あさぢふ)の 小野(をの)の篠原 しのぶれど あまりてなどか 人の恋(こひ)しき」

小倉百人一首第三十九番で、歌意は以下のとおりです。

浅茅が生えている小野の篠原ではないが、この心を耐え忍んでも、耐えきれぬほどにどうしてこんなにも、あなたのことが恋しくてたまらないのだろうか。

なお、石碑に刻まれている書は、三宅相舟さんのものです。

以上が、野宮神社の近くにある小倉百人一首文芸苑内の後撰集の歌碑です。

小倉百人一首に興味がある方は、一度訪れてみてはいかがでしょうか。

ちなみに同様の文芸苑は、嵯峨野嵐山に全部で10ヶ所あります。

スタンプラリー感覚で、すべての小倉百人一首文芸苑を廻るのも、良い嵐山嵯峨野散策になりそうですね。

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