2014年09月一覧

石清水祭の放生行事・2014年

毎年9月15日は、京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)で、勅祭の石清水祭が行われます。 勅祭というのは、天皇陛下からの使いである勅使がお供えを備えるために参向する祭礼のことで、勅祭が斎行されるのは石清水八幡宮を含めて全国で16社しかありません。 中でも、石清水祭は、賀茂祭と春日祭とともに三大勅祭とされています。 石清水祭は、15日の深夜から午後8時ころまで行われます。 今回、私が参加したのは、午前8時から行われた放生行事(ほうじょうぎょうじ)です。

後白河法皇にも効果があった。頭痛平癒のお参りは三十三間堂へ。

頭痛に悩む現代人が多いそうですね。 仕事でパソコンを使ったり、携帯電話の画面を長時間見続けたりといったことが理由といわれることがあるので、あまり目を酷使しない方が良いのかもしれません。 頭痛に悩んでいたのは、現代人だけではありません。 平安時代末期には、後白河法皇も頭痛に悩まされ、それが理由で平清盛が三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)を創建したとも伝えられています。

昔は奈良の興福寺に属していた八坂神社

京都市東山区の四条通の東の端に八坂神社の朱色の楼門が建っています。 この楼門を見ると、祇園に来たなと思うんですよね。 おそらく、旅行で京都に訪れた方が、この楼門を見ると京都らしさを感じるのではないでしょうか。 八坂神社は、貞観元年(876年)に奈良の興福寺の円如が創建した天神堂が始まりと伝えられています。 なので、八坂神社は、当初は興福寺の末社だったのですが、ある事件を機に比叡山延暦寺に属することになりました。

石清水八幡宮の展望台で観賞したスーパームーン

2014年9月8日は中秋の名月ということで、京都府八幡市の安居橋(あんごばし)にお月見をしに行きました。 その翌日の9月9日は、月の輝きが素晴らしいスーパームーンが見れるということで、石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の展望台へ。 石清水八幡宮へは、京阪電車の八幡市駅からケーブルカーに乗車し、男山の山上まで行くのが便利です。 ちなみに展望台はケーブルの駅近くにあります。

南禅寺の再興に活躍した以心崇伝

現在、京都にはたくさんのお寺や神社があります。 寺社には、京都らしい建築物が多いので、国内だけでなく海外からもたくさんの旅行者が観光で訪れますね。 私も、よく京都のお寺や神社に観光目的で参拝することがあります。その時は、せわしない日常を忘れて心がスッキリとするというか、気持ちがとても和むんですよね。 このようなすがすがしい気持ちにさせてくれる寺社ですが、その中には、ドロドロの政治の世界と関わってきたからこそ、今日まで存続しているところがいくつもあります。 京都市左京区に建つ南禅寺も、そのひとつと言えるでしょう。

地獄の閻魔大王が祀られている2つのお寺

「嘘をついたら地獄の閻魔さまに舌を抜かれますよ」 子供の時にこんなことを大人から言われたことがある方は多いはず。 だから、閻魔さまは、とても怖い存在だという印象があるでしょう。私もそう思っています。 そして、なんとなく悪そうな印象もあるので、閻魔さまは仏さまが祀られているお寺にはいないと思い込んでしまいますが、実は、京都には閻魔さまを祀ったお寺が上京区と東山区の2ヶ所にあります。 上京区のお寺は引接寺(いんじょうじ)で、東山区のお寺は六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)です。

五山十刹から外れた大徳寺

鎌倉時代や室町時代に臨済宗のお寺は格付けがされていました。 五山十刹(ござんじっさつ)というのがそれです。 このような格付けは、南宋の官寺制度を範にしたもので、鎌倉幕府の執権であった北条貞時から始まっています。 鎌倉の浄智寺を五山に列したのが始まりで、その後、京都五山が指定され、室町時代になると、五山の下に十刹、その下に諸山が作られました。 京都五山は、南禅寺を別格として、天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺と続きます。 大きな禅寺ばかりですね。 でも、よく見ると、五山に入っていても良さそうなお寺の名が見当たりません。 大徳寺が忘れられていませんか。...

御霊神社に桓武天皇と深い関係があった人々が多く祀られているのはなぜ?

京都市上京区に上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)という神社が建っています。 また、上御霊神社から南東に15分ほど歩くと、下御霊神社という神社も建っています。 両社は、ともに「御霊」という文字が社名に入っているので、創建された目的は同じです。 その目的とは、怨霊の祟りを鎮めるためです。 平安時代、非業の死を遂げた人々が怨霊となって、疫病や洪水などの災いをもたらすと考えられていました。 そして、こういった災いから、京都を守るためには、怨霊を神社に祀って御霊に変えれば良いとされていました。 この信仰を御霊信仰といいます。 上御霊神社も下御霊神社も、祭神として...

河合神社の禰宜になれなかったから誕生した方丈記

京都市左京区の下鴨神社の第一の摂社は、同じ糺(ただす)の森の中に建っている河合神社(かわいじんじゃ)です。 河合神社の禰宜(ねぎ)は、代々、鴨氏がつとめていました。 禰宜というのは、簡単にいうと、神職のひとつで祭祀に従事するのが役目です。 鎌倉時代に河合神社の禰宜になる予定でいたけど、なれなかった人がいます。 それは、方丈記の作者の鴨長明です。