失われた大寺院・大雲寺旧境内を訪ねる

京都市左京区の岩倉を散策した時、大雲寺というお寺に立ち寄りました。

大雲寺は、江戸時代に発刊された「都名所圖會」に掲載されていた大寺院で、昭和に入ってもその姿を保っていました。

しかし、現在では、当時の伽藍はほとんど残っていません。

時代の波に飲み込まれたお寺

大雲寺は、叡山電車の岩倉駅から北西に15分から20分ほど歩くと到着します。

この辺りには、実相院も建っており、観光で岩倉に訪れる方の多くは、ここを拝観します。

そして、大雲寺にも立ち寄るのかと思いますが、そのようなことはなく、観光バスに乗って帰って行ってしまいます。

それもそのはず。

実際に大雲寺を見たら、ここがお寺とは思いませんからね。

大雲寺

大雲寺

上の写真に写っているのが、現在の大雲寺です。

入口付近には、お地蔵さまが並んでいるので、お寺だと言われれば、そうなのだとわかりますが、何の知識も持たずにこの辺りを散策したら、多くの人がお寺と気づかずに立ち去るでしょうね。

お地蔵さま

お地蔵さま

大雲寺は、天禄2年(971年)に円融天皇の勅願寺として創建され、最盛期には数十の堂舎と千人以上の僧を擁していた洛北屈指の名刹だったそうです。

それが、現在は一般住宅のような建物があるだけ。

栄枯盛衰は世の常とは言え、あまりにも変わりすぎて、最盛期の姿を偲ぶこともできなくなっています。

おそらく、現在の大雲寺を見たら、歴史の中で戦禍に遭い、すこしずつ衰退していったのだろうと思うでしょうが、実は、現在のようになったのは昭和60年(1985年)のことだそうです。

それまでは、本堂を中心に経蔵、鐘楼、庫裏(くり)、鬼子母神堂など、いくつもの建物があったのですが、裁判沙汰になるような金銭トラブルの末、以前の境内は更地になってしまったのだとか。

これも時代の流れなのでしょうね。

部外者の私にはわかりませんが、きっと、当事者の方たちにとっては深刻な問題だったのでしょう。

旧境内地

大雲寺のすぐ近くには、北山病院があります。

その辺りが、かつての大雲寺の境内だったようで、今も、その当時の面影を残すものが少し残っています。

古びた手水場は閼伽井(あかい)と呼ばれています。別名は智弁水(ちべんすい)。

閼伽井

閼伽井

近くの説明書によると、この閼伽井には2つの伝説があるそうです。

ひとつは、その昔、智弁僧正が霊水を求めて密教の秘法を修めたという伝説です。

また、もうひとつの伝説は、文慶上人の夢に跋難陀龍王(ばつなんだりゅうおう)が現れて、「此の地に名水有り、汝に与うべし」とお告げがあり、左の袂をもって大地をさするとたちまち霊水が湧き出したというものです。

干ばつにも降雨にも増減しない「不増不減の水」と称され、古来より霊水として崇められ、心の病や眼の病に霊験あらたかで、平安時代から今日まで信仰されているそうです。

閼伽井の近くには、古びたお堂も建っています。

お堂

お堂

お堂の中には、仏像が祀られています。

花が供えられているので、普段からお参りをされる方がいらっしゃるのでしょうね。

閼伽井の近くには、不動の滝と呼ばれる滝もありました。

不動の滝

不動の滝

不動の滝は、妙見の滝とも呼ばれています。

古来より大雲寺で心の病がよくなるよう加持祈祷を受けるために訪れた人たちの垢離場(こりば)だったそうで、滝に打たれると本復すると言われています。

そのため、全国から霊験を求めて人が集まってきたとのこと。

現在の北山病院は、彼らの滞在を引受けた籠屋(こもりや)と呼ばれる保養所のひとつが発展したものだそうです。

ちなみに上の写真に写っている、向かって右の祠に不動明王、左に妙見菩薩が祀られています。

明治以前には、背後の山腹に朝日妙見が祀られ、洛陽十二妙見霊場の筆頭として妙見信仰の滝行場でもありました。

また、大雲寺の旧境内は、源氏物語の「若紫」に登場する「なにがし寺」の候補地のひとつともされています。

このような歴史的にも文化的にも貴重なお寺が、往時の姿をとどめていないというのは、もったいない話ですね。

でも、これも時代の流れなので、仕方がないのでしょう。

なお、大雲寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。



京都桜photo