お寺の本堂や神社の本殿は、多くの場合、南向きに建てられています。
これは、風水の原理で北が命の根源の水の方位だからとか、儒教の「天使は南面す」という考え方があることなどが理由になっているようです。
ただ、本堂や本殿は必ずしも南向きに建てられるわけではなく、東向きや西向きに建てられることもあります。
しかし、北向きに建てられるということは珍しいようです。
そんな珍しい北向きの本堂と本殿が京都市伏見区に存在します。
北向山不動院
北向山不動院は、北向きの本堂を持つお寺です。
最寄駅は地下鉄竹田駅で、そこから南西に10分ほど歩くと北向山不動院に到着します。
北向山不動院は、鳥羽上皇の勅願により大治5年(1130年)に興教大師を開山として創建されました。
本堂には、興教大師作の不動明王が安置されています。
本堂が北向きに建っているのは、王城鎮護を目的としているからです。
北向山不動院は、都の南に位置し、本堂に祀っている不動明王を北向きに祀ることで、平安京を守護しようとしたのですね。
鳥羽上皇が寺の名を北向山不動院と名付けたのも、これが理由とされています。
境内には、不動の滝と呼ばれる滝が流れています。
名前から、勢いのある滝を想像しそうですが、意外と水量は少なめです。
田中神社
北向きの本殿を持つ神社は、北向山不動院よりも3kmほど南にあります。
その神社は、京阪中書島駅から20分ほど西に歩いた辺りに建つ田中神社の境内にあります。
田中神社は、もともと今の場所よりも北に建っていたのですが、安土桃山時代に洪水に遭い、現在地まで社殿が流されてきました。
この田中神社の境内の東に北を向いて建てられている北向虫八幡があります。
平安時代、後に冷泉天皇(れいぜいてんのう)となる憲平親王の疳の虫がひどかったため、生母の藤原安子が八幡宮に祈願したところ、たちまち治りました。
そこで、安子の父の師輔が御所を守護するように社殿を北向きに建てました。
それが、北向虫八幡です。
北向虫八幡は、当初は草津湊にありましたが、明治5年(1872年)に田中神社の境内に遷されました。
北向山不動院の本堂も北向虫八幡の社殿も北向きに建てられているのは、北に位置する都を守護することが目的だったわけですね。
なので、もしも北向山不動院も北向虫八幡も平安京の北に建てられていたら、南向山不動院とか南向虫八幡と名付けられていたかもしれませんね。