地下水が出るようになった菅原院天満宮神社の井戸
京都には、菅原道真を祀っている神社がいくつかあります。 京都市上京区の京都御苑の西に建つ菅原院天満宮神社もそのひとつです。 この神社には、菅原道真が誕生した時に初湯に使った井戸があります。 以前は、枯れていたのですが、2011年に工事をして地下水が出るようになったということなので、観に行ってきました。
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京都には、菅原道真を祀っている神社がいくつかあります。 京都市上京区の京都御苑の西に建つ菅原院天満宮神社もそのひとつです。 この神社には、菅原道真が誕生した時に初湯に使った井戸があります。 以前は、枯れていたのですが、2011年に工事をして地下水が出るようになったということなので、観に行ってきました。
京都市の上京区と北区の境目辺りに櫟谷七野神社(いちいだにしちのじんじゃ/いちいだにななのじんじゃ)という神社が建っています。 櫟谷七野神社は、文徳天皇の染殿皇后が安産祈願のために春日権現を勧請(かんじょう)したのが始まりと伝えられています。 あまり聞いたことがない神社と思いますが、実は賀茂斎院跡という歴史的に興味深い場所に建っています。
平安時代に坂上田村麻呂という人物がいました。 日本史の教科書に必ず登場するので、名前くらいは知っていることでしょう。 田村麻呂は、日本で初めて征夷大将軍になった武将で、彼の墓は京都市山科区にあります。
治承5年(1181年)閏2月4日。 この日、貴族中心の政治から武家政治への転換の基礎を作った平清盛が亡くなりました。 京都市東山区の六波羅蜜寺には、その平清盛の塚があります。
京都市左京区の平安神宮の北に積善院(しゃくぜんいん)というお寺が建っています。 あまり有名なお寺ではないので、ご存知の方が少ないのではないでしょうか。 私が参拝した時も境内には誰もいませんでした。 もしかしたら参拝者がいなかったのは、境内に祀られている人食い地蔵が原因なのかもしれません。
平安時代に紫式部が書いた源氏物語は、全部で54帖あります。 その後半10帖は、今の京都府宇治市を主要な舞台としていることから宇治十帖と呼ばれています。 源氏物語は、フィクションなので、その史跡が存在するということはありません。 しかし、いつの頃か、源氏物語のファンによって、源氏物語の史跡が造られてきました。 もちろん宇治十帖の史跡も存在します。
京都市中京区に光勝寺極楽院というお寺が建っています。 光勝寺は、天慶2年(939年)に空也によって創建されたと伝えられています。空也が、比叡山で光勝という僧名を受けたことが、寺名の由来です。 また、光勝寺は、空也を本尊として祀っていることから空也堂とも呼ばれています。 空也を祀っているということは、大きなお寺なのだろうと思い、実際に訪れてきました。
京都市上京区の北野天満宮の境内の西側に観音寺というお寺が建っています。 神社にお寺があったり、お寺に神社があったりすることはよく目にすることなので、北野天満宮に観音寺があることは、特に不思議ではありません。 ただ、全く不思議ではないかというと、そうでもなく、観音寺には、土蜘蛛灯籠という変わったものが置かれています。
京都の町を散策していると、細い路地の奥に小さなお寺や神社を発見することがあります。 一体、何のためにこんなところに建てたのだろうと思って、説明が書かれた案内板があるか見回すのですが、そのようなものは見当たらず、結局、何もわからないまま立ち去ることがほとんどです。 京都市右京区の妙心寺近くにある願王寺も、路地の奥にある小さなお寺です。 しかし、ここには由緒書があり、それを読むと金売り吉次ゆかりの地であることがわかりました。
平治元年(1159年)。 平清盛と源義朝が戦う平治の乱が起こりました。 平治の乱は、最終的に平清盛の勝利に終わり、源義朝は家臣の長田忠致(おさだただむね)の裏切りにより、この世を去りました。 また、平家は、義朝の長男の義平も捕え、六条河原で処刑しました。 他にも義朝には、たくさんの子がおり、平家はその子たちを捕えようと都とその周辺を探索します。 その中には、義朝と常盤御前の間に生まれた3人の男子も含まれていました。