伏見区一覧

広い城内で静かに観賞した紅葉・伏見桃山城

京都市伏見区にそびえたつ伏見桃山城。 ここは、現在公園になっていて、誰でも自由に入ることができます。もちろん入場料なども必要ありません。 建築されたのが昭和ということが理由なのか、観光で訪れる方が非常に少ないところです。 でも、伏見桃山城は、知る人ぞ知る紅葉の名所なのです。

秋が似合う瑞光寺の本堂

秋に対しては、様々なイメージがあることでしょう。 食欲だったり、スポーツだったり、読書だったり。 でも、秋特有のイメージと言えば、もの悲しさじゃないでしょうか。 秋の夕焼け空を見ていると、何となく切なくなるというか、寂しくなってきたりします。 そんなもの悲しい秋の情緒にぴったりのお寺が京都市伏見区に建っています。 そのお寺は、瑞光寺といいます。

宝塔寺の花天井絵

京阪電車の深草駅から西に10分ほど歩くと、宝塔寺というお寺が現れます。 この辺りで有名な寺社と言えば、伏見稲荷大社です。多くの観光客の方は、伏見稲荷大社に参拝した後、すぐに電車に乗って、帰ってしまうのですが、それはちょっともったいないですね。 近くには、一度は訪れたい寺社がいくつかあるので、それらを見た後に電車に乗ってもらいたいところです。 今回紹介する宝塔寺も伏見稲荷大社周辺で見ておきたいお寺のひとつです。

日野の産土神として崇敬される萱尾神社

以前、京都市伏見区の日野を散策しているときに偶然見つけた萱尾神社。 見つけたと言っても、地元の方は誰もが知っている神社なのでしょうが、あまり京都関連の本では紹介されていません。 萱尾神社が建っている辺りは住宅街なのですが、境内周辺だけ木々が生い茂っています。

江戸時代の荷物の運搬を助けた車石

京都駅から伏見区まで南北に竹田街道が走っています。 竹田街道は昔から京都の交通にとって重要な役割を果たしており、人だけでなく多くの荷物も行き来していました。 江戸時代には、荷物を運ぶのに牛車(うしぐるま)を利用しており、材木や米などが運ばれていました。

魚三楼に残る鳥羽伏見の戦いの弾痕

慶応4年(1868年)1月に始まった鳥羽伏見の戦いは、その名のとおり、京都市の鳥羽と伏見で新政府軍と旧幕府軍が戦いました。 現在の京阪電車伏見桃山駅と近鉄電車桃山御陵前駅の近くでは、北に新政府軍の薩摩藩、南に旧幕府軍の会津藩と新撰組が陣取り、激しくぶつかり合いました。 その時の弾痕が、今も京料理屋の魚三楼(うおさぶろう)に残っています。

琵琶湖疏水の流れを追いかける

京都市を流れる川には、鴨川や桂川などがあります。 これらの川は、昔から京都を流れていましたが、江戸時代や明治時代にできた川も存在します。 鴨川の西を流れる高瀬川は、江戸時代に角倉了以(すみのくらりょうい)によって開削されたもので、木屋町通を歩いていると川のせせらぎが爽やかに感じますね。 明治時代にできた川は、琵琶湖疏水で、その流れは鴨川にも負けないほどです。 ところで、どうして琵琶湖疏水は造られたのでしょうか。 また、どこに向かって流れているのでしょうか。

鳥羽伏見の戦いの史跡

慶応4年(1868年)1月3日。 京都市伏見区で、新政府軍と旧幕府軍が激突しました。 この戦いは、鳥羽伏見の戦いと呼ばれ、明治2年(1869年)の函館戦争まで続く戊辰戦争(ぼしんせんそう)の始まりとなります。 現在でも、伏見区には、鳥羽伏見の戦いの史跡がいくつも残っています。

鮮やかなツツジが咲く城南宮の神苑

4月も終わりに近づくと、京都の観光名所では、桜から初夏の草花に主役が交代します。 京都市伏見区の城南宮でも、ツツジや藤が神苑を彩り始めます。 晴天に恵まれた4月下旬のある日の昼下がり。 ポカポカとした陽気に誘われて城南宮にお参りに行ってきました。