京都市下京区の四条烏丸の交差点から烏丸通を南に200メートルほど歩いた場所は、二帖半敷町(にじょうはんじきちょう)という町。
しかし、二帖半敷町を町名で呼ぶ人はまれ。
いや、二帖半敷町以外も、町名で呼ばれることが少ないのが京都の特徴です。
だいたい南北の通りと東西の通りで、その場所を指すことが多く、北は綾小路通、南は仏光寺通に挟まれた二帖半敷町は、烏丸通綾小路下ルや烏丸通仏光寺上ルなどという方が馴染みがあります。
その二帖半敷町ですが、町名の由来は五条寺にあると伝えられています。
畳になぞらえて二帖半
二帖半敷町は、烏丸通の真下を走る地下鉄の四条駅が最寄り駅です。
駅の南側半分くらいが二帖半敷町。
烏丸通を東から西にまたがるように街があり、東側の方が面積が広め。
代表的な建物は、烏丸通の東側に建つからすま京都ホテル。

からすま京都ホテル
西側の代表的な建物は、専門学校の大原の赤いビルですね。
四条烏丸周辺はビジネス街なので、二帖半敷町も商業ビルが多め。
さて、五条寺ですが、かつてこの地にあったそうです。
ある時、当寺の住職が弟子2人に寺を分割して与えたのが、二帖半敷町の起こりという。
五条を畳五帖になぞらえ、弟子2人に分けたから、各人の取り分は二帖半だなと誰かが言ったとか言わなかったとか。
二帖半敷町の由来は、そういうことらしい。
烏丸通の西側の方が面積が広いので、三帖と二帖に分けたんじゃないかと邪推するも、烏丸通を折り曲げるようにして分割したのかは不明。
そもそも五条寺という寺院もよくわからず、二帖半敷町の由来となったこと以外は、書籍にもネットにも出てきません。
二帖半敷町一帯に五条寺があったのなら、かなりの大寺院だったはず。
それなのに五条寺の情報が見つからないのは、どうも怪しい。
町名の由来も諸説ありますから、五条寺説が正しいという確証はありません。
二帖半敷町は、五条通より四条通に近いので、普通なら四条寺と名付けそうなもの。
でも、昔は現在の五条通より北にある松原通が五条だったことから、二帖半敷町は、四条と五条のちょうど中間くらい。
そうすると、五条寺でも四条寺でも、どちらでも通用する場所にあったと言えそうです。
祇園祭の還幸祭で神輿が通る
とりあえず、二帖半敷町の由来は、ここに五条寺があったことと関係しているという説が有名です。
7月24日の祇園祭の還幸祭では、二帖半敷町にも神輿が渡御し、大勢の観覧者が歩道に並びます。

祇園祭の神輿渡御
祇園祭の神輿は、山鉾を出している地域を練り歩きますが、二帖半敷町には山鉾が建ちません。
ということで、二帖半敷町は単なる通過点のようですね。
西隣の白楽天町では、白楽天山が建てられ、周辺も鶏鉾、綾傘鉾、船鉾などが建ち並びます。

白楽天山の会所
それなら、二帖半敷町も、山鉾を出しても良さそうなものなのですが。
南に隣接する仏光寺通沿いに五帖の畳を半分に切った二帖半敷山を建てるとか。
でも、四条烏丸一帯で、山鉾を出していない町はたくさんあるので、むしろ、山鉾を出す町の方が珍しいのでしょう。
不思議な地名が残る京都。
その由来を調べるのも、京都の楽しみ方の一つですね。