京都市左京区の地下鉄東山駅近くに満足稲荷神社という神社があります。
その名の通り、満足なご利益があったことから付いた社名です。
満足した人が誰かというと、それは豊臣秀吉です。
連戦連勝で大いに満足
豊臣秀吉は、天下を統一した後、海外の国々も手中に収めようと考えました。
そして、まず大陸への足掛かりとして朝鮮に出兵したのです。
秀吉の朝鮮出兵は、文禄の役(1592?1593年)と慶長の役(1597?1598年)の2度行われました。
その最初の文禄の役の際に、秀吉は稲荷神に戦勝祈願をします。
すると、そのご利益があったのか、戦の最初の頃は連戦連勝で、戦局は秀吉にとって有利なものとなったのです。
そこで、秀吉は伏見城に稲荷神社を祀って、朝鮮出兵の戦果に大いに満足したことから満足稲荷神社と名付けたのです。
しかし、その後は朝鮮での戦局は秀吉の思うようにならず、結局、秀吉の死によって兵士たちは朝鮮から撤退しました。
満足稲荷神社の南、三条駅から京阪電車に乗車し七条駅で下車して数分歩いた場所に耳塚があります。この耳塚には、朝鮮出兵で功績のあった武将に恩賞を与えるために、日本に送られた敵兵の耳や鼻が埋葬されています。
時は流れ、元禄6年(1693年)。
江戸幕府5代将軍の徳川綱吉が、満足稲荷神社を現在地に移しました。
満足稲荷神社が現在地に移ってから、その近隣が多いに繁栄し、商売もうまくいったことから、商売繁盛の神様として信仰を集め、今も親しまれています。
病が治る岩上さん
満足稲荷神社の境内には、社殿の他に、樹齢400年以上のご神木や岩上さんが祀られています。
岩上さんは、自分が患っている箇所と同じ箇所を触ると病が治ると伝えられています。また、頭をなでると賢くなるそうです。
豊臣秀吉が満足した満足稲荷神社なら、商売繁盛も病気平癒も期待できそうですね。
ただ、秀吉のように最初がうまくいったからと言って、おごれてしまうと、後で不満足な結果になってしまうかもしれませんよ。
ちなみに満足稲荷神社には、紅枝垂桜が1本あります。
「京都人つれづれ日記帳」さんの下記の記事に紅枝垂桜の写真が掲載されています。境内には、全く人がいなかったようです。桜の写真を撮りに行くのにいいかもしれませんね。
なお、満足稲荷神社の由緒などは以下のページを参考にしてみてください。