11月19日に京都府八幡市の石清水八幡宮に紅葉を見に行った後、神應寺(じんのうじ)に参拝しました。
神應寺では、毎年11月に紅葉まつりが行われており、2022年は11月19日と20日が開催日です。
また、両日は、八幡市のお寺や神社などで、秋の文化財一斉公開が行われ、花手水や生け花も見ることができます。
血天井
京阪電車の石清水八幡宮駅を出て、南に約5分歩くと、神應寺の山門の前に到着します。
山門をくぐると、急な石段が続いており、ここを上るのがなかなか大変です。
普段は、ほとんど人がいない神應寺ですが、この日は、山門から石段にかけて多くの人がいらっしゃいました。
石段を上りきると、境内のカエデがきれいに紅葉していました。
正面に見えるのは本堂で、扉には徳川家の葵の紋と豊臣家の桐の紋がかかっています。
神應寺は、徳川とも豊臣とも縁があります。
玄関で靴を脱ぎ、本堂の中に入ります。
紅葉まつりの期間は、非公開の本堂や書院の内部を見ることができます。
しかも無料です。
玄関には生け花が展示されています。
ここから、ガイドの方の説明を受けながら堂内を順路に従い歩いていきます。
本堂の縁側の天井は、血天井です。
慶長5年(1600年)の関ケ原の戦いの前に徳川家康に仕えていた鳥居元忠は、西軍の攻撃を防ぐため伏見城にたてこもりました。
しかし、西軍の攻撃を支えきれなくなった鳥居元忠は、家臣たちとともに自刃します。
その時に血がべったりとついた床をお寺の天井として使用し、討ち死にした人々を弔いました。
神應寺の血天井は、その伏見城の床です。
同様の血天井は、東山の養源院、鷹峯の源光庵、北区の正伝寺などにもあります。
神應寺を創建したのは、男山の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)に宇佐八幡から八幡神を勧請(かんじょう)した行教です。
石清水八幡宮の祭神は、応神天皇ですが、神應寺は、その「応神」を逆さにして名付けられたとのこと。
創建時は法相宗で、その後、天台宗、真言宗と宗旨が変わり、室町時代に現在の曹洞宗になっています。
豊臣秀吉の正室の北政所は、晩年に東山の高台寺に移り住みましたが、その高台寺の創建に関わったのは、弓葴善疆(きゅうしんぜんしょう)というお坊さんです。
その弓葴善疆が、神應寺の中興に携わっており、豊臣秀吉から百二十石を寄進されています。
その後も、歴代の徳川将軍からも援助を受けており、本堂には、15代将軍の徳川慶喜を除く14代の位牌があります。
また、江戸時代の豪商の淀屋からも援助を受けており、大般若経を寄進されています。
大般若経は50巻ずつ12個の箱の中に収められており、その箱を見ることもできました。
書院にやって来ました。
ここからは、石清水八幡宮駅のバスターミナルを見下ろせ、また、木津川も望むことができます。
書院には、茶席も用意されており、500円を納めるとお茶を飲むことができます。
茶席からの方が眺めが良いですね。
また、書院からは、ヤマザクラをイギリスで改良したアーコレイド桜を見ることができます。
アーコレイド桜は春と秋に花を咲かせ、この日もちらほらと小さな花が咲いていましたよ。
メジロもやって来ており、春が訪れたような気分になりました。
見ごろの紅葉
本堂と書院を拝観した後は、境内の紅葉を見て歩きます。
境内の日当たりの良い場所にあるカエデは、真っ赤に色づいていました。
今年の京都の紅葉は、全体的に色づきが良いですね。
庭石と一緒に見る紅葉。
本堂から男山の奥にある杉山谷不動に向かいます。
杉山谷不動に向かう参道にも多くのカエデが植えられていますが、まだ紅葉し始めたばかりでした。
この辺りは、12月に入ってすぐに見ごろになります。
杉山谷不動では、花手水を見ることができました。
そして、男山のふもとに戻って来ると、手作り市も開催されていました。
11月20日には、射的などの子供ゲームも行われるそうですよ。
神應寺の紅葉まつりでは、貴重な文化財を見ることができました。
他のお寺だと、500円くらいは納めないと拝観できない文化財ばかりです。
玄関には募金箱が置かれているので、拝観時は、いくらか募金しておきましょう。
なお、神應寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。