源氏は、清和源氏とも呼ばれることがあります。
こう呼ばれるのは、源氏が清和天皇の血を引いているからです。
源姓を名乗るようになったのは、清和天皇の孫にあたる経基からで、以後、頼朝が鎌倉幕府を開くなど源氏は栄えていき、歴史的にも重要な存在となっていきました。
京都の清和源氏ゆかりの地と言えば、八幡市にある石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)が、源義家が元服したところとして有名です。
他にも京都には清和源氏ゆかりの地がいくつかありますが、あまり有名ではありません。
そこで、今回は京都のあまり有名でない清和源氏ゆかりの地を4つ紹介したいと思います。
1.染殿院
まず最初に紹介するのは染殿院です。
染殿院は、新京極通の南の入り口付近に建っています。
入口がビルに挟まれていて、しかも非常に狭いことから注意して歩かないと見落としてしまいます。
染殿院は、大同3年(808年)に空海が創建したと伝えられています。
当初は、空海が十住心論を著した場所だったことから、十住心院と称していました。
創建から約40年後、文徳天皇の皇后の藤原明子(ふじわらのあきらけいこ)が、このお寺の本尊である地蔵菩薩に祈願したところ、皇子が誕生しました。
その皇子こそが清和天皇だったのです。
その後、明子が染殿皇后と呼ばれていたことから十住心院は染殿院と呼ばれるようになり、また、本尊の地蔵菩薩は染殿地蔵の名で親しまれるようになりました。
今は、染殿院は狭い境内にお堂が建っているだけの小さなお寺となっています。
清和天皇の誕生に貢献したお寺にしては、小さすぎるように思います。
2.清和院
次に紹介するのは、上京区の上七軒の辺りに建つ清和院です。
その名から清和天皇と関係があることが伺えますね。
このお寺は、清和天皇譲位後の後院として設けられたのが始まりです。
室町時代には、清和源氏の血筋の足利氏の帰依を受けて栄えました。
3.大通寺
3つ目に紹介するのは、南区の東寺の南東に建つ大通寺です。
大通寺は、源氏の祖とされる経基の墓所にその子の満仲が堂宇を建立したのが始まりとされています。
また、鎌倉時代に3代将軍実朝の菩提を弔うために妻の本覚尼が建立したとも伝えられています。
どちらの説でも清和源氏とゆかりのあるお寺に違いはありませんね。
大通寺は、その後も足利氏や徳川氏などの崇敬を集めて栄えましたが、明治時代に東海道本線の敷設に伴い現在地に移転し、規模が縮小しました。
4.六孫王神社
最後に紹介するのは六孫王神社です。
京都駅から西に10分ほど歩くと到着します。
六孫王神社には、源経基が祀られています。
社殿を建立したのは、経基の子の満仲です。
六孫王という名は、経基が清和天皇の第6皇子の貞純親王の長男だったことに由来しており、経基も六孫王経基と呼ばれていました。
六孫王神社も他の清和源氏ゆかりの寺社と同様に源頼朝や足利氏から崇敬を受けていました。
以上、京都にあるそれほど有名でない清和源氏ゆかりの地を紹介しました。
今回紹介したもの以外にも探せばたくさんあると思います。
京都観光の際に意識しておけば、思わぬところで清和源氏と関係のある史跡に出会えるかもしれませんね。