普段の生活の中で、よく親しまれている飲み物としてすぐに思いつくのがお茶ではないでしょうか。
おそらく、今までに一度もお茶を飲んだことがないという方は、ほとんどいらっしゃらないと思います。
それどころか、一日一度は必ずお茶を飲むという方も多いことでしょう。
そんな親しみ深いお茶ですが、日本最古の茶園が、京都市右京区の北の方の栂尾(とがのお)に建つ高山寺の境内にあります。
お茶はいつ頃日本に伝わったのか
お茶は、中国から日本に伝えられたものです。
したがって、昔から日本にあったものではないんですね。
お茶を最初に日本に伝えたのは、天台宗の開祖である最澄と言われています。
日本に伝えられた時期は、延暦年間(782-806年)とのこと。
最澄は、遣唐使として中国に渡っています。そのため、お茶を中国から日本に伝えたのが最澄だという説には、十分にうなずける部分がありますね。
最澄は、中国から持ち帰った茶の実を比叡山麓に植えたそうです。そして、京の都にも茶園が造られました。
しかし、遣唐使の廃止とともにお茶の栽培は一時中断されます。
お茶の普及に貢献した栄西と明恵
日本で、お茶の栽培が本格的に行われるようになったのは、鎌倉時代のことです。
最澄がお茶を日本に伝えてから約400年後の建久2年(1191年)に栄西(ようさい)が、宋から茶種を持ち帰ります。
栄西と言えば、建仁元年(1202年)に2代将軍の源頼家の帰依を受けて、建仁寺を創建したことが有名です。
栄西が建仁寺を創建して間もなく、文覚(もんがく)が神護寺を再興し、その際に子院となった高山寺の復興に明恵(みょうえ)が尽力していました。
高山寺は、以前は都賀尾寺と称していましたが、建永元年(1206年)に明恵が後鳥羽上皇から「日出先照高山之寺」という勅額を賜ったことから、現在の寺名に改称されます。
そして、承元元年(1207年)に明恵は、栄西から茶種を譲り受け、高山寺でお茶の栽培を始めます。
高山寺で栽培されたお茶は、宇治にも移植され、その後、全国の多くの寺院へと広がって行きました。
そのため、高山寺は、日本のお茶の発祥の地とされ、今でも境内には茶園があり、日本最古の茶園の碑が置かれています。
京都の有名なお茶の産地は、宇治市ですが、その発祥の地は高山寺だったわけですね。
また、高山寺には、石水院という建物があります。
石水院の中では、明恵上人樹上坐禅像や鳥獣人物戯画といった宝物を見学することができます。
どちらも歴史の教科書などに掲載されているので、一度はご覧になっているかと思います。
ただ、石水院で見学できるのは、複製です。本物は、京都国立博物館や東京国立博物館に寄託されています。
お茶の効能を説いた栄西
明恵がお茶を日本に普及させた功労者ということは、間違いのないことです。
しかし、日本に茶種を持ち帰った栄西もお茶の普及に貢献した人物ということを忘れてはいけません。
栄西の著書に喫茶養生記があります。
その上巻では、お茶の栽培方法と効能が記されており、二日酔いで悩む3代将軍の源実朝に献上されたと言われています。
建仁寺の境内には、栄西の功績を讃える茶碑が建てられています。
右京区の高山寺と東山区の建仁寺は、離れた場所に建っていますが、どちらもお茶を普及させた人物と深く関係しているお寺という点で共通しています。
現在では、全国どこでも自動販売機で簡単にお茶を購入することができますが、そのお茶も元は栄西が宋から持ち帰った茶種を使って明恵が栽培したことに始まるんですね。
お茶を飲む時は、歴史をかみしめながら、じっくり味わいたいと思います。
なお、高山寺に訪れる際は、高雄を巡るを参考にしてみてください。バスの割引チケットの購入方法も紹介しています。