風葬の地であった鳥辺野と阿弥陀ヶ峰

京都市東山区の東山五条の交差点。

ここは、信号待ちをする旅行者や観光客の方で、いつも混雑しています。

交差点の南東には、西本願寺の親鸞聖人の廟所である大谷本廟があり、清水寺に参拝する途中であろう人が境内に入っていくのをよく見かけます。

その大谷本廟の裏には山に囲まれるように大谷墓地が広がり、かつて、この辺りが風葬地であった名残をとどめる。

大谷墓地の向こうには阿弥陀ヶ峰

大谷墓地には、京阪電車の清水五条駅から五条通を東に約10分歩くと到着します。

東山五条の交差点と大谷本廟の間に細い道があり、それが大谷墓地へと続く参道。

墓地に入ると、右手には数えきれないほどの灰色の墓石が、ずらっと並ぶ。

大谷墓地

大谷墓地

そして、奥には、阿弥陀ヶ峰のなだらかな稜線。

 

大谷墓地とその周辺は、大昔は、鳥辺野(とりべの)と呼ばれていました。

化野(あだしの)、蓮台野(れんだいの)とともに京都の三大葬送地の一つ。

平安時代の京都は、現代のように火葬は行われず、亡骸は、三大葬送地のいずれかに運び込まれ、自然に朽ち果てていくのを待っていました。

ゆえに風葬と呼ばれる。

死体が鳥辺野などに運ばれるのはまだ良い方で、疫病や飢餓により亡くなった人は、道端に放置されるのが当たり前。

その有様を見て、死体を鳥辺野に運んで荼毘に付し供養したのが、奈良時代の僧・行基と伝えられています。

その際、行基は山中に阿弥陀堂を建立したことから、大谷墓地の奥に見える山は阿弥陀ヶ峰と呼ばれるようになったという。

ちなみに行基は宇治橋を架橋したことでも知られていますね。

 

阿弥陀ヶ峰の頂上には、慶長3年(1598年)に豊臣秀吉の廟所が造営され、今も豊国廟(ほうこくびょう)として残っています。

豊国廟

豊国廟

庶民の亡骸が運び込まれた鳥辺野の近くに百姓から天下人に出世した秀吉のお墓があるのに何か縁があるように感じる。

 

六道珍皇寺と清水寺

大谷墓地から北西に約7分歩くと、坂道の途中に六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)が建っています。

山門前の六道の辻と刻まれたこげ茶色の石碑が、これより先は生者が赴く場所ではないといっているかのように。

六道珍皇寺

六道珍皇寺

六道の辻は、あの世とこの世の境目を意味します。

六道珍皇寺が建つ辺りからが鳥辺野で、その前にある松原通を東に坂を上っていくと清水寺に到着します。

すなわち、松原通は、清水寺の参詣路ということです。

 

六道の辻を通って清水寺にお参りするのは、なんだか薄気味悪く感じますが、その清水寺も、やはり人の死と関係していたと考えられています。

本堂が建つ清水の舞台は、見晴らしが良く旅行者や観光客に大人気ですが、その下は、死体が投げ込まれた場所だとも言い伝えられています。

見上げる清水の舞台

見上げる清水の舞台

 

現在、かつての鳥辺野は、大勢の観光客で賑わっていますが、本来は、死者と最後の別れをする場だったのかもしれません。

周辺には昔ながらの建物が見られるものの、開発が進み、大谷墓地は目隠しされたように旅行者の視界に入らなくなっています。

平安時代の葬送地は、今や京都屈指の観光地へと変貌を遂げています。

宿泊