6月中旬に京都市東山区の智積院に参拝した後、南に3分ほど歩いて新熊野神社(いまくまのじんじゃ)を訪れました。
新熊野神社は、東大路通沿いに建っており、その入り口にある立派なオオクスノキが、一際目立っています。
あまりにも大きなその姿に引き込まれるように境内に入りました。
大樟を見上げる
新熊野神社には、京阪電車の七条駅から南東に徒歩約10分で到着します。
こちらがそのオオクスノキです。
新熊野神社は、永暦元年(1160年)に後白河上皇が紀州の熊野権現(くまのごんげん)を勧請(かんじょう)して、法住寺殿の鎮守としたのが始まりです。
その際、熊野から土砂や材木などをこの地に運び、クスノキも移植しました。
それが、上の写真に写っている後白河上皇お手植えの「大樟(くすのき)」さんです。
上皇は、国家鎮護と万民福祉とを請願し、手植えしたと言われています。
このオオクスノキは、神々が降臨する影向(ようごう)の大樟(くすのき)ともいい、健康長寿や病魔退散のご利益があると伝えられています。
特に上皇の腹痛が治ったことから、お腹の神さまとして信仰されています。
樹齢は900年ほどですが、まだまだ樹勢に衰えを感じません。
オオクスノキの正面には、「世阿弥 義満 機縁の地」の石碑があります。
新熊野神社は、観阿弥と世阿弥の父子が室町幕府3代将軍の足利義満に能を披露した地としても有名です。
その時の様子を表現した今熊野猿楽図もありますよ。
こちらは花の窟(いわと)神社の模型です。
花の窟は、三重県熊野市有馬にあり、伊弉冉命(いざなみのみこと)の埋葬地とされています。
上の模型の表面には、伊弉諾命(いざなぎのみこと)と伊弉冉命の国造り神話の光景が描かれています。
それでは、その伊弉冉命が祀られている本殿にお参りをしましょう。
境内では、アジサイが少しだけ花を咲かせていました。
西側から境内を眺めます。
奥に先ほど見たオオクスノキが見え、頭上には筆で描いたようなうっすらとした雲が浮かんでいました。
オオクスノキは、間近で見ることもできますよ。
小さな戸をくぐってオオクスノキの前へ。
近くで見ると、幹のたくましさがわかります。
このオオクスノキは、巨枝が、龍が空を飛んでいるように見えることから、龍に乗った弁財天、すなわち樟龍弁財天(しょうりゅうべんざいてん)として信仰されてきたそうです。
七福神の一つで財宝をもたらす弁財天は、水と緑の深いところに龍神としてまつられることが多いとのこと。
間近でしっかりと拝んでおけば、金運や財運のご利益を授かれそうですね。
本殿にお参りを済ませ、樟龍弁財天も拝んだので、そろそろ境内から出ましょう。
樟龍弁財天を拝んだ後だったためか、手水鉢に流れる水が清らかに見えましたよ。
この後は、勝林寺に参拝します。
なお、新熊野神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。