11月上旬に京都市伏見区の安楽壽院(あんらくじゅいん)に参拝しました。
安楽壽院が建つ鳥羽は、交通量が非常に多い地域で、国道1号線や24号線、高速道路が走っています。
かつて、平安時代後期には、鳥羽離宮があり、都が移ってきたかのような賑わいを見せていたと伝えられていますね。
ひっそりとした境内
安楽壽院の最寄り駅は、地下鉄、近鉄電車ともに竹田駅です。
駅からは、南西に5分ほど歩けば、安楽壽院の参道に到着します。
参道には、全く人がいません。
安楽壽院には何度か参拝していますが、境内はいつもひっそりとしています。
石畳の参道を西に進むと北側に山門が建っています。
山門はいつも閉じており、塀の奥には入ることができません。
でも、境内には、薬師堂や大師堂があるので、そちらにお参りできますよ。
この日は、晴天だったこともあり、境内が明るく感じました。
沈黙した鐘楼。
そして、鐘楼の奥に建つのは薬師堂です。
それでは、薬師堂にお参りをしましょう。
薬師堂の隣の大師堂にもお参りです。
安楽壽院は、真言宗のお寺なので、大師堂には、弘法大師像が本尊として祀られています。
本御塔と庭園
境内の西側は柵に覆われており、その中には本御塔の額がかかった建物が建っています。
安楽壽院は、鳥羽離宮の東殿を保延3年(1137年)に寺に改めたことに始まります。
開基は鳥羽天皇、覚法法親王を導師に落慶したということです。
保延5年に建立された本御塔という三重塔には、保元元年(1156年)に法皇となった鳥羽天皇が葬られました。
現在、安楽壽院の西に鳥羽天皇安楽壽院陵がありますが、それは、本御塔の跡です。
安楽壽院に伝えられている本阿弥陀如来像は、本御塔の本尊だったと推定されており、造立したのは円派仏師のひとりと考えられています。
また、保元2年に建立された新御塔には、近衛天皇の遺骨が納められています。
近衛天皇の陵も、安楽壽院の南側にありますよ。
本御塔の南側には庭園があります。
庭園には、「勝光明院阿弥陀堂跡出土」や「安楽壽院出土」と記された立て札の近くに石が置かれています。
これらの石は、この付近の発掘調査で出土した景石です。
鳥羽離宮内には、安楽壽院だけでなく、証金剛院、勝光明院、成菩提院、、金剛心院などのお寺も建っていました。
それらの跡地で発掘された景石が、安楽壽院の収蔵庫の周囲に移築復元されました。
ということは、本御塔の額がかかる建物は、収蔵庫だったんですね。
境内には、小さな福禄寿がいらっしゃいました。
参道のカエデは、上の方が紅葉し始めています。
本格的に紅葉するには、あと2週間ほどかかりそうですね。
私が安楽壽院にいる間に訪れた参拝者は1人だけでした。
いつもながら、境内は静かでしたよ。
この後は、北向山不動院に参拝します。
なお、安楽壽院の詳細については以下のページを参考にしてみてください。