9月末に京都市下京区の河原町五条周辺を散策しました。
この辺りには、上徳寺や市比売神社など、寺社が多く建っており、歴史的にも興味深いところがいくつもあります。
ただ、普段はお参りできないところもあり、外から眺める程度しかできません。
今回は、河原町五条近くに建つ蓮光寺(れんこうじ)、長講堂、朝日神明宮をちょっとだけ紹介します。
蓮光寺
蓮光寺は、地下鉄の五条駅から東に5分ほど歩いた富小路通沿いに建っています。
普段は中に入ることができません。
蓮光寺は、本堂に祀られている負別如来(おいわけにょらい)と呼ばれる阿弥陀如来と地蔵堂に祀られている駒止地蔵(こまどめじぞう)が有名です。
負別如来は、鎌倉時代の快慶の作と伝えられています。
快慶が東国の僧の求めに応じて阿弥陀如来を作った際、あまりに良い出来栄えだったので、僧の後を追いました。
山科(やましな)で僧に追いついた快慶は、もう一度拝みたいと僧にお願いします。
そして、僧が、背負っていた笈(おい)を開くと、仏像が2体に分かれていました。
両者は、1体ずつ背負って東と西に別れたことから、当寺の山号は負別山といいます。
駒止地蔵は、空海の作と伝えられています。
平清盛が六条河原に差し掛かった時に急に馬が動かなくなったので、その場所を掘ってみると地蔵が出てきました。
そこで、このお地蔵さまは、駒止地蔵と呼ばれるようになりました。
また、蓮光寺の門前には、長宗我部盛親のお墓がることを示す石柱が立っています。
長講堂
蓮光寺から少し東に歩くと長講堂が建っています。
こちらも普段は参拝できません。
長講堂は、もとは後白河法皇が建立した持仏堂です。
本堂には法皇の臨終仏である本尊の阿弥陀三尊像が祀られており、御影堂(みえいどう)には江戸時代初期に作られた後白河法皇坐像も安置されています。
毎年、4月13日の法皇忌には、後白河法皇坐像の公開が行われます。
また、寺宝として、後白河法皇画像や法皇直筆の過去現在牒が伝わっています。
過去現在牒には、法皇と関係のある人々の名が書かれており、白拍子の祇王の名もありますよ。
長講堂は、特別公開されることもありますから、その機会に拝観すると良いでしょう。
朝日神明宮
河原町五条の交差点から少し西に歩いた麩屋町通を北に進むと、朝日神明宮が建っています。
今は狭い境内に小さな社殿が残るだけですが、かつては広大な敷地を持ち、幸神(さいのかみ)の森と呼ばれていました。
創建は、貞観年間(858-876年)ですから、長い歴史を持っています。
当初は現在の亀岡市にありましたが、元亀3年(1572年)に現在地に移ってきました。
かつては、末社が8社あったのですが、天明の大火(1788年)や蛤御門(はまぐりごもん)の変(1864年)で大半が焼失し、現在は、猿田彦社だけが残り、神石2個が安置されています。
河原町五条付近は、あまり有名な観光名所がなく、拝観できないところも多いですが、歴史的には興味深い寺社が並んでいます。
四条河原町といった繁華街からも近いので、お土産を買った後にでも歩いてみると良いでしょう。