2月3日に伏見稲荷大社の節分祭に行った後、伏見稲荷駅から京阪電車に乗って三条駅で下車しました。
三条駅から、さらに北東に15分ほど歩いてやって来たのは左京区の聖護院(しょうごいん)です。
聖護院でも節分会が行われており、午後1時からは山伏追儺式が始まります。
私が聖護院に到着したのは、午後12時30分。
山伏追儺式に間に合ったようです。
満開の白梅
聖護院の最寄り駅は、京阪電車の神宮丸太町駅です。
駅からは、北東に7分ほど歩けば、聖護院の入り口に到着します。
聖護院界隈は、京都市内でも節分の日は特に賑やかで、近くの八ッ橋屋さんでは、ぜんざいなどの無料接待が行われています。
聖護院の入り口にも、お店が並んでおり、いつもは非公開の聖護院に多くの人が訪れていました。
山門をくぐり、山伏追儺式が行われる宸殿(しんでん)の前にやって来ると、白梅が満開になっていました。
暖冬の影響から、京都の梅はどこも開花が早く、2月初旬に見ごろを迎えている所も多いです。
宸殿の東に建つ不動堂の戸が開いており、お参りできるようになっていました。
宸殿前は、山伏追儺式が始まるのを待つ参拝者でいっぱいです。
宸殿では、マイクを持ったお坊さんが、節分の慣わしなどを解説しており、その声はスピーカーを介して境内に大きく響いています。
以前にも、聖護院の節分会に参加したことがありますが、その時も、マイクを持ったお坊さんが様々な説明をしていましたね。
まるで、境内にラジオが流れているようです。
境内の南側では、背の低い紅梅も花を咲かせていました。
こちらの紅梅は、平安乃紅梅というそうです。
山伏追儺式の始まり
聖護院は、修験宗(しゅげんしゅう)のお寺なので、境内には山伏姿のお坊さんがたくさんいらっしゃいます。
代々、皇族関係者が住職をつとめた門跡寺院(もんぜきじいん)であり、天明の大火(1788年)の後、一時的に光格天皇の仮皇居となったこともあります。
時刻は午後1時となり、山伏追儺式が始まりました。
宸殿の中央で、えらいお坊さんが、参列する方々の名前を読み上げていきます。
参列者を先導する山伏は手燭を持って、足元を照らしています。
かつて、節分の行事は夜に行われていたので、暗い足元を照らすために明かりを灯していました。
現在は、聖護院の節分会は昼に行われますが、以前の名残から山伏が手燭を持って参列者を先導しています。
順番に参列者が宸殿の中に入っていきます。
参列者の後ろからは、ブオーと法螺貝を吹きながら3人の山伏が続きます。
宸殿の中では、しばらく法要が行われますが、外からだと、その様子がわかりません。
10分ほど経ったでしょうか。
中から、参列者やお坊さんが縁側に出てききて整列。
時刻は午後1時25分です。
ドンドンと大きな音を立てながら、宸殿の東側から凶悪そうな黄鬼が現れました。
さらに西側からは赤鬼も登場し、2匹の鬼が宸殿で暴れ回ります。
一体どうなるのか、と思いながら見ていると、今度は青鬼も登場し、宸殿で3匹の鬼たちが騒ぎ立てます。
しかし、鬼たちは、山伏や参列者に豆を投げつけられ痛がります。
それでも、鬼たちは暴れるのを止めません。
すると、えらいお坊さんが鬼たちの前に立ちふさがり、懲らしめ始めます。
これはたまらないとばかりに後退する青鬼。
赤鬼も、えらいお坊さんには敵わないのか、床に膝を着き苦しんでいます。
3匹の鬼たちは、山伏や参列者に懲らしめられ、ついに降参しました。
鬼たちが懲らしめられる様子は、動画にも収めましたので、ご覧になってください。
鬼を懲らしめた後は、豆まきが始まります。
まかれる豆は多いのですが、参拝者も非常に多いので、取るのが難しいです。
聖護院の豆まきでは、鬼たちも豆をまきます。
先ほどまで悪さをしていた鬼たちは、お坊さんに調伏され、心を入れ替えたようです。
豆まきは盛り上がります。
どうにか、私も1つ福豆を取ることができました
福豆を取れなかった方も、後から出口で1ついただけますから、残念がることはありません。
でも、数に限りがあるので、いただけない場合もありますが。
山伏追儺式が終わった後は、温かい甘酒をいただきました。
暖冬とは言え、2月は寒いですから、温かい甘酒をいただけるのはありがたいですね。
聖護院の節分会では、山伏追儺式の後、午後3時から採灯大護摩供、午後6時から古札焼きが行われましたが、私は山伏追儺式が終わった時点で聖護院から出ました。
なお、聖護院の詳細については以下のページを参考にしてみてください。