11月中旬に京都市左京区の本願寺北山別院の紅葉を見た後、南に5分ほど歩き、金福寺(こんぷくじ)を訪れました。
金福寺が建つ一乗寺は、紅葉の名所として有名で秋になると多くの旅行者や観光客の方で賑わいます。
でも、金福寺は、秋でも比較的空いており、混雑することなく紅葉狩りを楽しむことができます。
庭園の紅葉
金福寺の最寄り駅は、叡山電車の一乗寺駅です。
駅から東に10分ほど歩けば住宅街の中に緑で覆われた一角が現れます。
そこが金福寺です。
入り口は幅の狭い石段となっているため、ちょっと気づきにくいです。
それが、秋でも金福寺に参拝する人が少ない理由なのかもしれません。
石段を上り拝観受付へ。
拝観料は400円です。
受付で、拝観案内とウェブサイトの「夢と知りせば」の案内をいただきました。
同ウェブサイトは、京都の名所を物語と写真とともに紹介していますよ。
受付を済ませ庭園へ向かいます。
庭園の入り口付近のカエデは、たくさんの葉を散らし、地面は赤色のモミジのじゅうたんに変わっていました。
まだ、京都市中心部では、紅葉が見ごろ前なのですが、金福寺の紅葉は終盤に入っているようです。
門をくぐり庭園にやって来ました。
庭園の紅葉は見ごろでした。
それでは、本堂の中に入りましょう。
本尊の観音さまは、慈覚大師円仁の自作とのこと。
しっかりとお参りをしておきましょう。
金福寺は、井伊直弼の妾であった村山たかゆかりのお寺でもあります。
また、与謝蕪村とも縁があり、本堂の中には村山たかや与謝蕪村に関係のある寺宝が展示されていますよ。
本堂を出て庭園を散策します。
本堂の前に広がる白砂が敷き詰められた枯山水庭園は、周囲にサツキの刈込がたくさんあります。
そのサツキの刈込の後ろにカエデが植えられており、11月になるときれいな紅葉を見ることができます。
また、サツキは山に登るようにも植えられており、丸いサツキの刈込と紅葉が見事に調和しています。
芭蕉庵と紅葉
山の上には、茅葺屋根の味わい深い建物があります。
この建物は芭蕉庵と言います。
その名のとおり、芭蕉庵は江戸時代の俳人の松尾芭蕉と関係があります。
松尾芭蕉は京都の東西を旅していた頃、金福寺の草庵で閑居していた鉄舟和尚を訪れ、風雅の道について語り合ったそうです。
その後、鉄舟和尚は無名であった庵を芭蕉庵と名付けました。
しかし、その芭蕉庵は廃れてしまいます。
松尾芭蕉と鉄舟和尚が語り合ってから約85年後、与謝蕪村が当寺を訪れました。
与謝蕪村は、松尾芭蕉を敬愛していたため、芭蕉庵の荒廃を悲しみ、安永5年(1776年)に再興しました。
その時に詠んだのが次の句でした。
耳目肺腸(じもくはいちょう) ここに玉巻く芭蕉庵
芭蕉庵の中からの眺め。
松尾芭蕉と鉄舟和尚も、ここから洛北の風景を眺めたのでしょうか。
ちなみに芭蕉庵の中には入ることができません。
上の写真は、芭蕉庵の外から室内越しに窓の外を撮影したものです。
芭蕉庵は、老朽化が進んでおり、周囲を数本の木で支えられていました。
9月と10月に強い台風が京都に上陸しましたが、その影響なのでしょうか。
それとも、以前から木で支えられていたのでしょうか。
何はともあれ、台風で倒れなかったのは良かったです。
芭蕉庵の近くから見下ろす本堂。
カエデの葉が散り、少し寂しい紅葉。
カエデの葉も、台風でいくらか散ったのかもしれません。
再び本堂の近くに戻ってきました。
白砂の向こうに見えるサツキの刈込。
そのまた向こうには、芭蕉庵と紅葉。
都会暮らしの方がこの景色を見ると、心が和むのではないでしょうか。
庭園の南西に置かれた句碑の近くの紅葉は見ごろです。
句碑に刻まれているのは、蕪村の「花守は野守に劣るけふの月」と百池(ひゃくち)の「西と見て日は入りにけり春の海」の句です。
庭園の入り口付近の紅葉。
深まる秋を感じられる景色です。
金福寺には、三毛猫の福ちゃんがいたのですが、どうやら亡くなったそうです。
6年前に紅葉を見に来た時には本堂の縁側で昼寝をしていたんですけどね。
寂しい限りです。
なお、金福寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。