7月17日に御池通に祇園祭前祭(さきまつり)の山鉾巡行を見に行きました。
郭巨山(かくきょやま)が通り過ぎた後に登場したのは、20基目の木賊山(とくさやま)です。
木賊山
ゆっくりと木賊山が進んできます。
木賊山は、世阿弥の謡曲「木賊」に由来する山です。
御神体は、信濃国で子供をさらわれた翁が、一人木賊を刈る姿を表しています。
前懸は、「唐人市場交易図」綴錦。
木賊山は、元治元年(1864年)の蛤御門(はまぐりごもん)の変で焼失した後、7年間休み山となりました。
現在の木賊山は舁山(かきやま)ですが、一時期、車輪を付けた曳山(ひきやま)だったことがあります。
明治25年(1892年)に角を曲がる際、車輪が折れたので舁山に戻したと伝えられています。
放下鉾
木賊山の次は、21基目の放下鉾(ほうかほこ)がやってきました。
背の高い放下鉾の鉾頭は、日、月、星の三光が下界を照らす形をしています
放下鉾は、町角で芸を披露しながら仏法を説く放下僧を祀っています。
正面には、稚児(ちご)人形が乗っており、3人の人形方によって稚児舞が披露されますよ。
以前は、放下鉾には生身の稚児が乗っていましたが、昭和4年(1929年)に稚児人形に変わっています。
稚児人形の名は、三光丸といい、長刀鉾の生稚児と同じ稚児舞を演じることが可能だそうです。
放下鉾が目の前までやって来ました。
放下鉾の胴懸はインド製の逸品です。
御池通で前祭の山鉾巡行を見ている時、沿道から園児たちが「がんばれー、がんばれー」と山や鉾に向かって声援を送っていました。
例年にも増して暑く、見ているだけでも疲れる日でしたが、園児たちの声援に気持ちが和みましたよ。
私は背の高いマンションの下で観覧したので、日陰の中から山鉾巡行を見ることができ、後半は風も吹き始めたので、他の場所で観覧している方よりかは涼しかったと思います。
この後は、岩戸山の登場です。