罪人の霊の冥福を祈る日ノ岡宝塔

京都を散策していると、思いもかけないところに石碑が置かれていることがよくあります。

このブログでも、そういった石碑をいくつか紹介してきました。

今回の記事も、思いがけないところで見つけた石碑の紹介です。

その石碑は、京都市山科区の地下鉄御陵(みささぎ)駅から200メートルほど西に置かれています。

解説が刻まれた板には、「日ノ岡宝塔様縁起」と書かれています。

処刑された罪人の供養塔

下の写真に写っているのが、日ノ岡宝塔です。

日ノ岡宝塔

日ノ岡宝塔

平安遷都(794年)から明治時代の東京遷都まで、京都では、たくさんの罪人が処刑されました。

罪人が処刑された場所は、ここから北東にある地下鉄蹴上駅付近です。

そこは、粟田口刑場と呼ばれ、都が京都にあった約1,100年ほどの間に15,000人以上の罪人が処刑されたそうです。

なお、粟田口刑場跡の石碑は、現在も蹴上に残っています。

写真は、「嗚呼、負け犬の遠吠え日記」さんの下記記事に掲載されていますので、ご覧になってください。

処刑された罪人たちのために、各仏教諸宗によって1,000人に1基ずつ15基の供養塔が建てられたと伝えられています。

しかし、これらの供養塔は、明治時代になって粟田口刑場が廃止された後、仏教寺院の既得権益を取り上げるなどを行った廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって、破壊されてしまいました。

廃仏毀釈から約70年ほどが経過した昭和14年(1939年)。

法華倶楽部創設者の小島愛之助によって、処刑者の霊の冥福を祈るために供養塔が建てられました。

それが、日ノ岡宝塔です。

もしも、この供養塔が建てられなかったら、平安時代から江戸時代までに京都で処刑された罪人が15,000人以上いたといった歴史は、忘れられていたかもしれませんね。

山科疎水近くに建つ本圀寺

日ノ岡宝塔の解説が刻まれた板の最後には、「日蓮宗京都府宗務所」と書かれていました。

この解説を造ったのが、日蓮宗京都府宗務所ということなのでしょう。

ということで、この近くに建つ日蓮宗のお寺をひとつ紹介しておきます。

日ノ岡宝塔から北に少し歩くと、山科疎水に着きます。

そして、疎水沿いに500メートルほど東に進むと朱色の橋が現れます。

その橋の先には、本圀寺という日蓮宗のお寺が建っています。

このお寺は、金色のものが多く、鐘楼、金剛力士像、鎮守社の鳥居など、様々なものが金ぴかです。

本圀寺

本圀寺

ぜひ、日ノ岡宝塔に訪れた後は、本圀寺にお参りして、金色だらけの境内をご覧になってください。