京都の町を散策していると、細い路地の奥に小さなお寺や神社を発見することがあります。
一体、何のためにこんなところに建てたのだろうと思って、説明が書かれた案内板があるか見回すのですが、そのようなものは見当たらず、結局、何もわからないまま立ち去ることがほとんどです。
京都市右京区の妙心寺近くにある願王寺も、路地の奥にある小さなお寺です。
しかし、ここには由緒書があり、それを読むと金売り吉次ゆかりの地であることがわかりました。
金をあつかう奥州の商人
平安時代後期、奥州では金が多く採掘されたことから、それを持って京都に行き、取引をする商人がいました。
その商人の中で有名なのが金売り吉次です。
金をあつかう奥州の商人というだけでは、金売り吉次の名が後世に伝えられることはなかったかもしれません。
彼の名を後世に知らしめたのは、何と言っても、少年時代の源義経を京都から脱出させ、奥州平泉の藤原秀衡(ふじわらのひでひら)のもとへ連れて行ったことでしょう。
宿願成就のお寺
願王寺の由緒書によると、この辺りは、「木辻」と呼ばれており、木辻の音が吉次に通じて、金売り吉次の別宅があったと伝えられているそうです。
また、吉次の別宅には、義経も身を寄せていたとされています。
義経が奥州平泉へ旅立つ際、吉次は、自分の守り本尊であった地蔵菩薩に宿願を成就させていただけるように祈願することを彼にすすめます。
義経は、吉次のすすめを聞き、地蔵菩薩に奥州への長旅の安全と宿願成就(平家討伐と思われる)を祈願しました。
そして、宿願成就の暁には、この地にお寺を建立することを誓います。
現在、願王寺に祀られている本尊の地蔵菩薩は、その時のものと伝えられています。
この地蔵菩薩は、源義経の宿願が叶ったことから、宿願成就、旅行安全のご利益があると信仰されています。
吉次の素顔
金売り吉次がいなければ、源義経は奥州平泉に行くことができず、平家の監視のもと、一生を鞍馬寺で終えていたかもしれません。
そう考えると、吉次は、将来の英雄を助けた商人ということになります。
源義経を題材とした物語でも、金売り吉次は、善人のように描かれることが多いですね。
しかし、他方で、吉次は単なる金の亡者や死の商人として描かれることもあります。
商売のためにたびたび京都に訪れていた吉次は、その財力にものを言わせ、都の娘を買って奥州に連れ去る人身売買をしていたと言われています。
また、義経を助けたのも、源氏と平家の間で戦いが起これば、それを利用して一儲けできるという打算があったからとも言われています。
このように金売り吉次を金の亡者として描いた作品には、吉川英治の「新・平家物語」があります。
新・平家物語では、平清盛に近寄り商売をしていた朱鼻(あけはな)の伴卜(ばんぼく)と吉次が源平合戦を利用して金儲けをする姿が描かれています。
時に2人は協力し、時に相手を裏切って金儲けをしようとする姿は、正に金の亡者そのものです。
最終的に伴卜は吉次に殺され、吉次も船に乗って航海に出た後、消息がわからなくなります。
金売り吉次は、謎の多い人物なので、善人だったのか金の亡者だったのか、その素顔はよくわかっていません。
なお、金売り吉次の京都の邸宅は、願王寺が建つ辺りの他に京都市上京区の首途八幡宮(かどではちまんぐう)辺りにもあったと伝えられています。
これについては、以前に以下の記事で紹介していますので、ご覧になってください。