栄春寺にもあった血天井

京都市伏見区の近鉄丹波橋駅から北東に数分歩くと栄春寺というお寺に到着します。

この辺りは、国道24号線が通っています。

そのため、京都らしい雰囲気をあまり感じることができず、観光で訪れる方も少なめです。

しかし、栄春寺は、境内に伏見城の遺構がいくつかあるので、歴史好きの方に一度は訪れてほしいお寺です。

伏見で最初の曹洞宗のお寺

栄春寺は、戦国時代の永禄11年(1568年)に伝養によって創建された伏見で最初の曹洞宗のお寺です。

入り口の奥に見える総門は、伏見城にあったものです。

入り口

入り口

入り口をまっすぐに進み、左に曲がると山門が現れます。

山門

山門

この山門をくぐると、不思議と車の騒音が聞こえなくなります。

境内には、人の気配もありません。

お寺に訪れたら、まずは本堂にお参り。

本堂

本堂

説明書によると、本堂は、天保10年(1839年)に改築されたものだそうです。

本尊として祀られている薬師如来座像は、伝教大師最澄泰澄大師の作で、徳川家康の家臣の酒井重勝が寄進しました。

観音堂の血天井

本堂の左には観音堂も建っています。

観音堂

観音堂

こちらに祀られているのは、西国三十三所観音と聖観音。

建物は、文化11年(1814年)に建立されたものです。

外から見ると、いたって普通の御堂に見えますが、実は観音堂の天井は伏見城の遺構の血天井です。

慶長5年(1600年)。

徳川家康率いる東軍と石田三成を中心とした西軍が岐阜県の関ヶ原で戦いました。

この関ヶ原の戦いの少し前に東軍についた鳥居元忠が伏見城にたてこもり、西軍と戦っています。

しかし、鳥居軍は、西軍の攻撃を防ぐことができず、元忠は、家臣380余人とともに自刃して果てました。

当然、伏見城の床は、自刃した鳥居軍の血で染まりました。

この伏見城の床は、多くのお寺の天井として使われたことから血天井と呼ばれています。

そして、その一部が、ここ栄春寺の観音堂の天井にも使われているのです。

残念ながら、観音堂内部は非公開なので、血天井を見ることはできません。

血天井は、源光庵、養源院、正伝寺などにも使われており、拝観することもできます。

私は、源光庵の血天井を見たことがあります。

さすがに血のシミは、今は赤くありませんでした。

伏見城の遺構は、血天井の他にも、二条城西本願寺の唐門など、有名な観光名所で目にする機会が多いのですが、栄春寺というあまり人に知られていないお寺にも存在していたというのは、新たな発見でした。

伏見城に興味のある方は、ぜひ、栄春寺にも参拝してください。