冬の京都は、季節的に観るものが少ないので、観光で訪れる方が他の季節と比べて著しく減ります。
でも、冬だからこそ観ておきたい京都もあります。
叡山電車木野駅から南に5分ほど歩いた辺りに建っている妙満寺もそのひとつですね。
雪月花の三名園に数えられる雪の庭
妙満寺に訪れたのは1月下旬です。
青空が気持ちよく、散策に最適な天気なのですが、気温はかなり低く最高気温は5度の予想。
門の前の池も水面が凍るほどの寒さです。
しかし、これだけ寒いとかなり期待できそうです。
何が期待できるのか?
それは、妙満寺にある雪の庭です。
雪の庭は、その名の通り雪がきれいな庭園で、清水寺成就院(じょうじゅいん)の月の庭、今は存在していない北野成就院の花の庭とともに雪月花の三名園に数えられています。
本坊の入り口で拝観料300円を納めて、いざ雪の庭へ。
しかし、寒いのですぐに室内に移動。
室内からでも庭園を観ることができるのですが、少し物足りない感じ。
寒いですが、縁側に移動して雪の庭をじっくりと鑑賞することに。
縁側近くには、室内から見ることができなかった雪が積もっています。
ただ、残念なことに雪は、期待したほど残っていませんでした。
しかし、青空にふわふわと浮かぶ白い雲と庭園が見事に調和しており、すがすがしい気分にさせてくれます。
下の写真は、縁側の北から南東を向いて撮影したものです。
雪の庭は、比叡山の峰を借景としており、冠雪の眺望が最も美しいとのこと。
確かに比叡山を望むことができましたが、雪は部分的にしか積もっていませんでした。
また、比叡山は、庭の中央からだと木で遮られて見ることができませんでした。
庭の南側からだと見えるのですが、それだと庭が見えません。
この点が、少しもどかしいですね。
庭の北には、カエルの像が置かれています。
カエルが寒さでカチンコチンに固まっているように見えました。
宝物館も鑑賞できる
雪の庭を楽しんだ後は、宝物館へ。
拝観料300円で、庭園と宝物館を鑑賞できるなんて、何とも太っ腹。
宝物館内は撮影禁止なので、ここからは主な宝物を文章のみで紹介していきます。
上杉謙信自筆書状
上杉謙信が家臣の北条高広に宛てた自筆書状。
達筆過ぎて読めません。
解説によると、同盟を解消した北条氏が、武田と手を組んだことに対し、佐竹氏、里見氏などと連携して北条氏を包囲していこうといった内容だそうです。
豊臣秀吉自筆書状
豊臣秀吉の自筆書状も達筆です。
天正15年(1587年)5月29日付で肥後国佐敷から妻のねねに宛てたもの。
朝鮮出兵の構想を表明した最も早い時期のものだとか。
秀吉の征服欲が伺える半面、ねねに今回の遠征で年をとり、白髪が増えて抜くこともできず人に会うのが恥ずかしいという弱気な面をみせている書状だそうです。
絵画
雪の庭の作庭者である松永貞徳(まつながていとく)、加藤清正、日蓮の絵像が飾られています。
日蓮の絵像は、昭和6年(1931年)に木島桜谷(このしまおうこく)が、宗祖650遠忌に際し、静岡県の五沢法華寺に伝わる日蓮聖人絵像を元に描き、奉納したものです。
道成寺の鐘
高さ約1メートルの道成寺(どうじょうじ)の釣鐘が安置されています。
その昔、修験者の安珍が熊野参詣を済ませた後、彼に思いを寄せる清姫に会いに行くという約束を破りました。
清姫は、激怒して蛇身となり、安珍を追いかけます。
安珍は、道成寺の釣鐘に隠れましたが、見つかってしまい、釣鐘の中で清姫が吐く炎に焼かれて死んでしまいました。
その後、清姫も白高川に身を投げ、その命を断ちました。
妙満寺に安置されている釣鐘は、この時のものだそうです。
上で紹介した宝物の他にも日蓮が著した立正安国論の巻物や10cmほどの高さの日蓮聖人像などもあります。
どれも興味深いものですので、雪の庭とともにご覧になってください。
なお、妙満寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。