京都市には、下京区と東山区に若宮八幡宮が建っています。
もちろん、同じ名前なので両者は関係があります。
結論から言うと若宮八幡宮は、最初に下京区に建てられた後、東山区に移転しました。
下京区の若宮八幡宮
まず、両者の説明をする前に、ここでは下京区は若宮八幡宮、東山区は若宮八幡宮社と呼ぶことにします。
若宮八幡宮は、天喜5年(1058年)に後冷泉天皇の勅願により源頼義が創建したのが始まりとされています。
若宮八幡宮がある西本願寺の北東辺りは、源氏の邸宅の六条堀川邸があった場所として知られており、当初は六条八幡とか左女牛八幡(さめがいはちまん)などとも呼ばれていました。
その後は、源頼朝から源氏の氏神として崇敬を受け、社地を寄進されたこともあります。
また、源氏の流れをくむ足利氏からも篤い崇敬を受け、若宮八幡宮は栄えました。
しかし、京都の他の神社と同じように応仁の乱によって焼失します。
それまでは、楼門や三重塔などが建っていたようですが、現在では家屋に挟まれた狭い敷地に社殿があるだけとなっています。
狭い境内には、朱色の鳥居が鮮やかなお稲荷さんも祀られています。
若宮稲荷大明神と言います。
東山区の若宮八幡宮社
応仁の乱で焼失した後、若宮八幡宮は豊臣秀吉の手によって東山に再建されます。
その後、天正16年(1579年)に方広寺付近に移され、慶長10年(1605年)に現在地に定まりました。
東山区の若宮八幡宮社については、このブログでも何回か紹介していますが、本殿は三間社流造(さんげんしゃながれづくり)という京都では珍しい建築技法を採用しています。
ちなみに現在の本殿は、承応3年(1654年)に再建されたものです。
本殿の脇には、蓬莱石(ほうらいせき)という石が置かれています。
ある時、足利尊氏が病気にかかります。
そこで、若宮八幡に祈願したところ病気が治ったことから、珍宝七種を献上しました。
その一つが蓬莱石だそうで、不可思議な御神徳御加護があると伝えられています。
蓬莱石の近くには由緒書があるのですが、そこには、本殿の片隅に埋もれていたものを650年ぶりに発見したということが記載されていました。
しかし、若宮八幡宮社が当地に移ってきたのは400年ほど前なので、その時に蓬莱石も一緒に移ってきたのではないでしょうか。
なお、若宮八幡宮社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。
移転を繰り返した神社は、以前の場所には何も残ってなかったり、小さな石碑が建てられているだけということが多いのですが、若宮八幡は以前の場所に小さいながらも社殿が残っているというのが興味深いですね。