京都市上京区の京都御苑の東にたくさんの木が生い茂った場所があります。
そこには、木々の中に埋まるように梨木神社(なしのきじんじゃ)という神社が建っています。
たくさんの木が生い茂っている場所に建てられた神社なので、かなり昔から存在していたんじゃないかと思っていたのですが、実は創建時期は明治時代だそうです。
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京都市上京区の京都御苑の東にたくさんの木が生い茂った場所があります。
そこには、木々の中に埋まるように梨木神社(なしのきじんじゃ)という神社が建っています。
たくさんの木が生い茂っている場所に建てられた神社なので、かなり昔から存在していたんじゃないかと思っていたのですが、実は創建時期は明治時代だそうです。
平安時代末期、祇王という白拍子がいました。
白拍子とは、当時の男性の恰好をして、歌を歌ったり、舞を披露する女性のことです。
祇王は、白拍子の中でも歌や舞がとても上手だったので、当時の都では、その名が知られていました。
幕末、吉村寅太郎という人物がいました。
天保8年(1837年)に土佐藩の庄屋の子として生まれた彼は、武市半平太の教えを受け、やがて、文久元年(1861年)に武市が結成した土佐勤王党に加わります。
その後、文久2年に脱藩して、尊王攘夷(天皇を敬い、外国人を日本から追い出すこと)のために働く目的で上洛しました。
平安時代末期、武士が政治の世界で活躍するきっかけを作ったのは、平清盛でした。
清盛を生んだ母の名は、祇園女御(ぎおんのにょうご)。
また、清盛には、父の忠盛の再婚相手である池禅尼(いけのぜんに)という母親もいました。
この二人の母親が、後に平家の運命を大きく変えることになります。
源平の争乱の始まりとなったことで有名なのが、保元元年(1156年)に起こった保元の乱です。
保元の乱の時は、まだ源氏と平家が戦うというよりも朝廷を中心とした争いに源氏と平家が参加したという形でした。
乱の原因は、後白河天皇と崇徳上皇との間の権力争いだったのですが、その争いに源氏も平家も身内同士で戦うことになります。
特に源氏は、父の源為義と長男の義朝が敵味方となって戦い、義朝の弟たちは父・為義につきました。
そして、その弟達の中には、弓の名手として知られる源為朝も混ざっていたのです。