狭い境内に咲き乱れるスイフヨウ・大乗寺
京都市山科区に大乗寺というお寺が建っています。 ご存じない方が多いと思いますが、実は、このお寺はスイフヨウの名所として有名で、9月中旬から10月下旬にかけて花を咲かせます。 ということで、10月上旬に見ごろとなっているスイフヨウを観に大乗寺に訪れてきました。
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京都市山科区に大乗寺というお寺が建っています。 ご存じない方が多いと思いますが、実は、このお寺はスイフヨウの名所として有名で、9月中旬から10月下旬にかけて花を咲かせます。 ということで、10月上旬に見ごろとなっているスイフヨウを観に大乗寺に訪れてきました。
平安時代に坂上田村麻呂という人物がいました。 日本史の教科書に必ず登場するので、名前くらいは知っていることでしょう。 田村麻呂は、日本で初めて征夷大将軍になった武将で、彼の墓は京都市山科区にあります。
JR山科駅の北東500メートルほどの場所に山科疎水のトンネルがあります。 そのトンネルから少し南に歩くと諸羽神社(もろはじんじゃ)という神社が建っています。 諸羽神社は、6柱の祭神を祀っています。 数としては、通常よりも多いですね。 でも、最初はこんなに多くの祭神を祀っていなかったようです。
京都を散策していると、思いもかけないところに石碑が置かれていることがよくあります。 このブログでも、そういった石碑をいくつか紹介してきました。 今回の記事も、思いがけないところで見つけた石碑の紹介です。 その石碑は、京都市山科区の地下鉄御陵(みささぎ)駅から200メートルほど西に置かれています。 解説が刻まれた板には、「日ノ岡宝塔様縁起」と書かれています。
京都市山科区に毘沙門堂というお寺が建っています。 山科区では、結構有名なお寺で、観光名所としても人気があります。 その毘沙門堂から少し西に行くと、双林院という毘沙門堂の子院が建っています。 毘沙門堂に参拝したら、双林院にも訪れておきたいところですが、その存在を知らない方が多いのか、毘沙門堂と比較して参拝者が少なめです。 そこで、今回の記事では、毘沙門堂に参拝したことはあるけど、双林院に訪れるのを忘れていたとか、そもそも知らなかったという方のために当院を簡単に紹介しておきます。
京都市山科区に勧修寺(かじゅうじ)というお寺があります。 このお寺は、春になると桜が見頃を迎えるのですが、近くに有名な醍醐寺があるため、意外と穴場になっています。 なので、比較的、参拝される方が少なく、落ち着いて桜を観賞することができます。
クレオパトラ、楊貴妃、小野小町。 上記の3人の女性は、世界3大美人とされています。 京都市山科区の随心院には、3大美人の日本代表である小野小町の史跡が存在することで知られています。
京都市山科区の随心院では、3月だけ境内の小野梅園が公開されます。 小野梅園の特徴は、薄紅色の「はねずの梅」が多数植えられていることです。 通常の梅は、2月から咲き始めるのですが、はねずの梅は、遅咲きのため3月から咲き始めます。 3月15日、そろそろ見頃に近付いているであろう「はねずの梅」を観に随心院を訪れました。
神社に必ずあるものと聞いて、すぐに思いつくのは、鳥居ではないでしょうか。 では、鳥居の次に連想するものは何でしょうか。 本殿、鈴、賽銭箱などいろいろと思いつくでしょうが、多くの方が狛犬を連想すると思います。 そして、頭に思い浮かべた狛犬は、ちょっと高い場所に座っている獅子のような姿をしたものではないでしょうか。 どこの神社でも、狛犬は、大体このような姿をしていますが、たまに変わった姿をした狛犬が鎮座していることがあります。 そこで、今回の記事では、私が今までに観たちょっと変わった姿をしている狛犬を紹介したいと思います。
江戸時代の仇討と聞いてすぐに思い浮かぶのが忠臣蔵ですよね。 赤穂藩(あこうはん)の殿さまの浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が、江戸城松の廊下で吉良上野介(きらこうずけのすけ)に斬りつけたため、その責任をとって切腹、藩も取りつぶし。 その後、家老の大石内蔵助(おおいしくらのすけ)らが、亡き主人の敵をとるために吉良上野介の邸に討ち入り、見事に本懐を遂げるというのが、忠臣蔵のおおまかな話です。 この忠臣蔵と関係のある名所が、京都市山科区にはいくつかあります。 そこで、今回の記事では、以前に訪れたことのある忠臣蔵の名所を3つ紹介したいと思います。