
菅原道真を訪ねれば梅に出会える
「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春を忘るな」 上の歌は、菅原道真が太宰府に左遷されたときに詠んだ歌で、彼の邸宅に植えていた梅の木が、配流先に飛んでいったと伝えられています。 この伝説からか、菅原道真を祀っている神社には、梅の木がよく植えられています。 そこで、今回の記事では、京都市内の菅原道真が祀られている神社とそこにある梅を紹介します。
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「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春を忘るな」 上の歌は、菅原道真が太宰府に左遷されたときに詠んだ歌で、彼の邸宅に植えていた梅の木が、配流先に飛んでいったと伝えられています。 この伝説からか、菅原道真を祀っている神社には、梅の木がよく植えられています。 そこで、今回の記事では、京都市内の菅原道真が祀られている神社とそこにある梅を紹介します。
京都市下京区の西本願寺は、街中にあって広大な敷地を有しています。 堀川通を北から南に歩くと、その広さが十分に分かりますね。 堀川通と七条通が交差する辺りまで築地塀があるので、最初はそこまでが西本願寺の敷地だと思っていたのですが、実は南の方は西本願寺ではなく興正寺の敷地であることに気付きました。
幕末、京都の治安を守るために組織された新撰組は、その屯所を八木邸に置きました。 その後、手狭になったため西本願寺に屯所を移転し、さらに慶応3年(1867年)に新撰組は不動堂村に移り、そこに屯所を構えました。 以前にも新撰組の屯所については、このブログで紹介しましたが、不動堂村の屯所跡に新しく石碑が置かれたので、もう一度紹介しておきたいと思います。
京都市下京区の西本願寺の西側、JR丹波口駅の東側の町中の道路に古風な門が建っています。 お寺の門なのかと思ってくぐってみると、その先も道路。 一体、この門はどういったものなのかと思い、近くにあった説明書を読んでみると島原大門(しまばらおおもん)であることがわかりました。
京都にはたくさんの史跡があります。 街を歩いていると、史跡の案内板や石碑が置かれているのに気付く方も多いのではないでしょうか。 私もある日、京都駅や四条烏丸などがある下京区を歩いていると「源氏ゆかりの地」と書かれた案内板を発見しました。
諏訪と聞いてすぐに思い浮かぶのは、長野県の諏訪ではないでしょうか。 長野県の諏訪には、諏訪大社という神社があります。 なので、諏訪と名のつく神社は長野県にだけあるように思ってしまいますが、実は全国各地に諏訪神社は存在しています。 もちろん京都にも下京区に諏訪神社があります。
慶応3年(1867年)11月15日。 この日、京都市中京区の近江屋で坂本竜馬と中岡慎太郎が暗殺されました。 暗殺したのは京都見廻組の今井信郎というのが通説となっていますが、当時は、2人を暗殺したのは新撰組と思われていました。
京都市には、下京区と東山区に若宮八幡宮が建っています。 もちろん、同じ名前なので両者は関係があります。 結論から言うと若宮八幡宮は、最初に下京区に建てられた後、東山区に移転しました。
京都に限らず、街中を歩いていると小さな祠(ほこら)を見かけることはありませんか。 そういった小さな祠を見つけると誰が何のためにこんなところに祠を建てたのかとついつい考えてしまいます。 建てられた時期やその理由がわからない祠が多い中、京都市下京区の地下鉄五条駅と京阪清水五条駅の間で発見した小さな祠には、しっかりと由緒が書かれていました。
京都市下京区の六条堀川は、源頼義、義家、為義、為朝、義経など、源氏の邸宅の六条堀川邸があった場所として知られています。 元暦2年(1185年)10月。 この六条堀川邸で、源義経が襲撃されるという事件が起こりました。