楠木正成が陣を敷いた一乗寺下り松
元弘3年(1333年)に鎌倉幕府が滅亡した後、後醍醐天皇を中心とする建武の新政が行われました。 しかし、建武の新政は、倒幕に功績のあった武士に大した恩賞が与えられなかったり、土地所有者が誰かを後醍醐天皇が決めたことで所領問題が発生したり、新貨幣の流通がうまくいかなかったりと、多くの混乱を招き、人々の不満が蓄積していました。 そんな状況の中、建武2年(1335年)に北条家の残党が東国で反乱を起こします。
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元弘3年(1333年)に鎌倉幕府が滅亡した後、後醍醐天皇を中心とする建武の新政が行われました。 しかし、建武の新政は、倒幕に功績のあった武士に大した恩賞が与えられなかったり、土地所有者が誰かを後醍醐天皇が決めたことで所領問題が発生したり、新貨幣の流通がうまくいかなかったりと、多くの混乱を招き、人々の不満が蓄積していました。 そんな状況の中、建武2年(1335年)に北条家の残党が東国で反乱を起こします。
京都市左京区の南禅寺境内に建つ水路閣の向こうには何があるのか。 ふとそんなことを思い、水路閣の奥へと進んでいきました。 サラサラと流れる小川に沿うように続く道。どうもこのまま進んでいくと、山の中へ入っていきそうです。 山の入口付近にお寺を発見。 こんなところにお寺があるとは、知りませんでした。
京都市山科区と左京区の堺に蹴上(けあげ)という地名があります。 蹴上の名は、平安時代末期に牛若丸こと源義経が、この地で起こした事件が由来となっており、今もそれを伝えるお地蔵さんがインクラインの広場に残っています。 ところで、義経はどんな事件を起こしたのでしょうか。
7月中旬。 梅雨が明け、本格的な夏がやってきました。 この時期に見ごろを迎えるのがハス。 京都にはハスの名所がいろいろありますが、意外と知られていないのが、京都市左京区の南禅寺です。
京都市左京区の南禅寺の近くを何気なく散策していると、今まで通ったことのない道路を発見しました。 まあ、発見といっても地元の方は誰でも知っている道路なのでしょうが、観光客の方なんかは、南禅寺に行くことに意識が集中して、見逃していることでしょう。 その道路は、南禅寺道と呼ばれており、北に少し歩くと、洛翠という旅館が建っています。
夏の京都は暑いとよく言われます。 本当にそのとおりです。とは言え、夏の暑さは、他も同じようなもので、極端に京都が暑いということはないですね。 夏に京都観光をすると、暑さで疲れてしまうので、時期をずらした方が良いのですが、夏しか京都に行けないという方もいらっしゃるでしょう。 そんな方は、京都市左京区の下鴨神社に訪れてみてください。
6月末。 京都市左京区の吉田山近くに建つ真如堂を訪れました。 真如堂には、6月に花を咲かせるボダイジュが植えられているので、それを見ようと思ったのが参拝した理由です。
京都市左京区の哲学の道の東に法然院というお寺が建っています。 観光客の方に人気がある哲学の道の近くというだけあって、観光シーズンになると、法然院は多くの参拝者が訪れます。 私が法然院に訪れたのは、6月末でした。
京都市左京区の哲学の道の南に永観堂というお寺が建っています。 ここは、もみじの永観堂と呼ばれるように紅葉の名所であります。 6月末。 紅葉にはまだまだ早いですが、青もみじが良い感じになっているのではないかと思い、永観堂の参道を見てきました。
6月末。 まだ梅雨明けはしていないのですが、青空が広がるすがすがしい天気だったので、哲学の道を歩いてきました。 この時期は、観光客の方がほとんどいないので、のんびりと散歩することができました。