左京区一覧

京都五山は6つある?

京都には、京都五山と総称される禅寺があります。 五山制度は、中国の南宋の制度にならったもので、鎌倉幕府が禅宗寺院のランク分けに用いた制度です。 当初の五山制度は、鎌倉のお寺に適用され、後に京都のお寺にも採用されました。 京都五山に列せられたお寺は、その時代によって異なり、室町時代に南禅寺、天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺の6つとなりました。 ところで、五山なのになぜ6つなのでしょうか?

大文字の送り火を主催する浄土院

毎年8月16日は、京都で五山送り火が行われます。 午後8時になると、京都盆地を囲む5つの山に「大」、「妙・法」、「船形」、「左大文字」、「鳥居形」の火文字が現れます。 現在では、五山送り火は、夏の風物詩となっていますが、本来は、盂蘭盆会(うらぼんえ)の精霊送り(しょうりょうおくり)の行事です。 五山送り火で、最も有名なのが大文字山の「大」の火文字ですね。 実際に見たことがなくても、写真などでご覧になったことがあるという方は多いでしょう。 この大文字の送り火を主催しているのが、京都市左京区に建つ浄土院です。

涌泉寺と七面祠

地下鉄松ヶ崎駅から北東に10分ほど歩いた辺りに涌泉寺(ゆうせんじ)というお寺が建っています。 もともとここは、本涌寺(ほんにゅうじ)というお寺だったのですが、大正7年(1918年)に妙泉寺というお寺と合併し、現在の涌泉寺になりました。

幕末維新に2度命を助かった西園寺公望

近代の政治家の中には、幕末維新の動乱をくぐりぬけてきた人物がたくさんいます。 西郷隆盛や大久保利通など、明治時代前期の政治家が、その典型ですね。 明治維新から約70年経った昭和15年(1940年)。 すでに幕末は、歴史の世界となりつつあった時代に西園寺公望(さいおんじきんもち)が亡くなりました。 西園寺公望は、明治時代後期の総理大臣で、最後の元老となった比較的現代に近い近代の政治家といったイメージがあります。 ところが、意外に思えるかもしれませんが、彼も幕末維新の動乱をくぐりぬけてきた政治家の一人だったのです。

親鸞ゆかりの御聖水が湧き出す本願寺北山別院

京都には、本願寺と関係のある場所がいくつかあります。 西本願寺や東本願寺はもちろんのこと、東山の大谷本廟(おおたにほんびょう)や大谷祖廟なども本願寺と関係がありますね。 本願寺と関係がある場所は、浄土真宗の開祖である親鸞ゆかりの地であることが多く、京都市左京区の一乗寺にある本願寺北山別院もそのひとつです。

十牛の庭の新緑・圓光寺

叡山電車の一乗寺駅から東に15分ほど歩いたところに圓光寺というお寺が建っています。 圓光寺は、慶長6年(1601年)に徳川家康が建立したお寺で、秋の紅葉が美しいことで知られている観光名所です。 紅葉の名所は、初夏の新緑も美しいはずと思い、6月初旬の雨上がりの曇り空の中、圓光寺を訪れることに。

洛陽六阿弥陀めぐり

京都には、七福神巡りなど、点在するいくつかの聖地を巡る巡礼がいくつかあります。 巡礼は、簡単に巡ることができるものから時間がかかるものまで多種多様です。 今回の記事では、京都の巡礼の中でも時間がかかる洛陽六阿弥陀めぐりを紹介します。

非業の死を遂げた早良親王を祀る崇道神社

崇道天皇(すどうてんのう)。 延暦19年(800年)に早良親王(さわらしんのう)に贈られた称号です。 この時期、皇位についていたのは第50代の桓武天皇です。 では、崇道天皇は、第51代の天皇かというとそうではありません。実際の第51代天皇は平城天皇(へいぜいてんのう)です。 そうすると崇道天皇とは、一体どういった天皇だったのでしょうか。