吉村寅太郎と天誅組の暴走
幕末、吉村寅太郎という人物がいました。 天保8年(1837年)に土佐藩の庄屋の子として生まれた彼は、武市半平太の教えを受け、やがて、文久元年(1861年)に武市が結成した土佐勤王党に加わります。 その後、文久2年に脱藩して、尊王攘夷(天皇を敬い、外国人を日本から追い出すこと)のために働く目的で上洛しました。
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幕末、吉村寅太郎という人物がいました。 天保8年(1837年)に土佐藩の庄屋の子として生まれた彼は、武市半平太の教えを受け、やがて、文久元年(1861年)に武市が結成した土佐勤王党に加わります。 その後、文久2年に脱藩して、尊王攘夷(天皇を敬い、外国人を日本から追い出すこと)のために働く目的で上洛しました。
本日3月30日は、東山区の豊国廟(ほうこくびょう)、円山公園、祇園の桜と中京区の高瀬川の桜の状況を見てきましたので報告します。 全体の印象としては、今からが見頃といった感じでした。
3月26日に祇園、白川、二条から三条の高瀬川、平安神宮付近の琵琶湖疏水の桜の状況を見てきましたので、報告します。 全体の印象としては、見頃は4月になってからになりそうです。
京都には、たくさんの桜の名所がありますが、中京区にある二条城もその一つです。 お城というと、いかめしいイメージがありますが、二条城はあまりそういう風には感じさせません。 おそらく、天守閣がないというのがその理由だと思います。それと、城内が文化的な造りになっていることも、いかめしいイメージを感じさせないことと関係があると思います。 そんな文化的なイメージの二条城には、たくさんの桜が植えられています。 以前、桜を観に訪れた時、二条城には、2か所のお花見の名所があることがわかりました。 その2か所とは、北の清流園と南の桜の園です。
新京極通は、お土産探しの修学旅行生でいつも賑わっており、京都市内でも若者が多い場所のひとつと言えます。 しかし、新京極通には、お寺や神社も結構多く、お土産を探している修学旅行生やショッピングをしている若者だけでなく、京都にお越しになった観光客の方にも人気のスポットですね。 そんな新京極通と交わる通りのひとつに蛸薬師通(たこやくしどおり)という通りがあります。そして、近くには蛸薬師堂という呼び名で親しまれているお寺が建っています。
京都に観光や旅行でお越しになる方の中には、新撰組所縁の地を訪ずれることを目的とされている方も多いのではないでしょうか。 そういった方にとって欠かすことができない新撰組所縁の地は、壬生の八木邸と壬生寺内にある壬生塚でしょう。
天正10年(1582年)6月2日未明、京都で歴史を変える大事件が起こりました。 それは、後に本能寺の変と呼ばれることになります。
その広い京都市の交通の中心と言えば京都駅ですが、地理的な中心と言えば中京区に建つ六角堂と言われています。
幕末の京都の治安維持にあたった組織として有名なのが新撰組。 新撰組が結成されたのは、文久3年(1863年)3月ですが、その舞台となったのが中京区の壬生に建つ八木邸です。
鴨川に架かる橋には、五条大橋や四条大橋などたくさんありますが、その中でも比較的有名で、人通りが多い橋が三条大橋です。 この三条大橋は、東海道の西の端ということで、歴史の舞台にも登場することが多いのですが、幕末の池田屋事件では、2か所の擬宝珠(ぎぼし)に刀傷がついたとされています。