
初秋の大谷本廟で咲くサルスベリ・2024年
9月上旬に京都市東山区の新日吉神宮に参拝した後、北に約10分歩き、大谷本廟を訪れました。 大谷本廟は、西本願寺の親鸞聖人の廟所で、清水寺へ続く五条坂にあることから、その参詣のついでに立ち寄る旅行者や参拝者の姿がよく見られますね。
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9月上旬に京都市東山区の新日吉神宮に参拝した後、北に約10分歩き、大谷本廟を訪れました。 大谷本廟は、西本願寺の親鸞聖人の廟所で、清水寺へ続く五条坂にあることから、その参詣のついでに立ち寄る旅行者や参拝者の姿がよく見られますね。
9月上旬に京都市東山区の智積院に参拝した後、東に約3分歩き、新日吉神宮(いまひえじんぐう)にも参拝しました。 新日吉神宮は、平安時代末期に後白河法皇が創建した神社ですから、800年以上の歴史があります。 境内も広く、観光客で賑わっても良さそうな神社なのですが、訪れる人は少なく、境内はいつも静かです。
9月上旬に法住寺に参拝した後、東に約5分歩き、智積院(ちしゃくいん)を訪れました。 智積院は、真言宗智山派の総本山で、東山七条に広々とした境内を有しています。 梅、桜、カエデなどが植えられており、四季折々の景色を見られるのが智積院の特徴です。 オーバーツーリズムが問題になっている京都ですが、智積院は、まだ海外に知れ渡っていないようで旅行者の姿が少なく落ち着いてお参りできます。
9月上旬。 京都市東山区の法住寺に参拝しました。 法住寺は、後白河法皇の院の御所法住寺殿があった地に建っています。 かつては、広大な敷地を有していた法住寺殿ですが、現在の法住寺は、小ぢんまりとしています。
京都市東山区に建つ豊国神社(とよくにじんじゃ)は、豊臣秀吉を祀っています。 慶長3年(1598年)に秀吉が亡くなると、遺体は、彼の遺命により阿弥陀ヶ峰の中腹に埋葬されました。 そのふもとの豊国廟太閤坦(ほうこくびょうたいこうだいら)には、80余りの廟社が造営され、後陽成天皇から正一位の神階と豊国大明神(とよくにだいみょうじん)の神号を賜っています。 これが豊国神社の創建ですが、その後、荒廃し、明治になって再建されています。
京都市東山区の霊山(りょうぜん)に鎮座する京都霊山護国神社は、ペリー来航以降の幕末殉難者から第2次世界大戦までの英霊を祀っています。 明治元年(1868年)に我が国最初の官祭招魂社として創建され、墓地には、坂本竜馬のお墓があることは有名です。 そのお墓の脇には、明治37年12月に建立された墓碑があり、碑文には、明治天皇の皇后である昭憲皇太后の夢枕に坂本竜馬が現れた時の言葉が記されています。
7月31日に京都市東山区の円山公園でサルスベリを見た後、北隣に建つ知恩院に参拝しました。 知恩院は、浄土宗四ヵ本山の一つに数えられるお寺で、東山に広大な敷地と豪壮な建物を有しています。 清水寺や高台寺などと並び、東山を代表する観光名所として多くの旅行者や観光客の方が訪れます。 さすがに夏の暑い時期は、人が減りますけどね。
7月31日に京都市東山区の八坂神社で茅の輪をくぐった後、東隣にある円山公園を散策しました。 円山公園は、広々としているため風が吹き抜けやすく夏の京都でも比較的涼しく感じられる場所です。 でも、桜の季節にはたくさんの旅行者や観光客で賑わいますが、さすがに夏に訪れる人は少なめです。
7月31日。 京都市東山区の八坂神社に参拝しました。 この日で、1ヶ月に渡って行われてきた祇園祭が終わります。 祇園祭最後の日に行われるのは、疫神社夏越祭(えきじんじゃなごしさい)です。 摂社の疫神社に茅の輪が設置され、これをくぐると厄気を祓うことができると伝えられています。
7月24日に祇園祭の花傘巡行が行われた後、八坂神社で花傘巡行奉納舞踊が催されました。 24日は、後祭の山鉾巡行が行われており、四条河原町周辺はたくさんの旅行者や観光客が押し寄せていましたが、八坂神社はそれに比べると人が少なめです。 とは言え、普段より人が多く、境内はそれなりに混雑していました。