平安時代一覧

合体大師像は何が合体したの?・乙訓寺

長岡京市の住宅街に乙訓寺(おとくにでら)というお寺が建っています。 創建したのは聖徳太子と伝えられているので、かなりの歴史があるお寺です。 乙訓寺に祀られている本尊は、合体大師像です。 この合体大師像は、文字通り2つのものを合体させて造られています。

菅原道真が大宰府に左遷された時に立ち寄った長岡天満宮

京都市上京区には、菅原道真を祀っている北野天満宮があります。 天満宮と言えば、この北野天満宮が有名ですが、京都市内には他にもたくさん天満宮が建っており、菅原道真が祀られています。 また、京都市内だけでなく天満宮はいろいろなところに建っていますね。 例えば、長岡京市の長岡天満宮もそのひとつです。

後白河法皇ゆかりの長講堂特別公開

京都市下京区の五条通と七条通の間に長講堂というお寺が建っています。 長講堂は、普段は門が閉まっていて拝観できないのですが、2012年の「京の冬の旅 非公開文化財特別公開」で、初めて寺宝が公開されることになりました。 この機会を逃しては、次、いつ拝観できるかわからないので、公開が始まった数日後に長講堂を訪れました。

平安時代の美男子は塩焼きが好きだった?

京都市には海がないのに海水を焼いて塩を取る塩焼きが行われた場所が2つあります。 ひとつは西京区の十輪寺で、もうひとつは下京区の本覚寺です。 塩焼きが行われたのは、平安時代前期です。 十輪寺では在原業平(ありわらのなりひら)が、本覚寺では源融(みなもとのとおる)が塩焼きをしました。

源平の史跡まとめ

京都には、源氏と平家の史跡が数多くあります。 当ブログでも過去記事でこれらの史跡を紹介してきましたが、記事を投稿した時期がバラバラのため、探し出して読むのが非常に困難な状況となっていました。 なので、過去に紹介した源平の史跡を時系列にしたがってまとめました。 なお、当記事内のリンクは、便宜上クリックすると新しくウィンドウが起動するようにしています。タブで開く場合は、Ctrlキーを押した状態で左クリックしてください。

建礼門院徳子が隠棲した寂光院

寿永4年(1185年/元暦2年)3月の壇ノ浦の戦い後に長楽寺で出家した建礼門院徳子は、しばらくして吉田山の庵に移ります。 しかし、吉田山は都から近く、高倉天皇の中宮であり、安徳天皇の母であった彼女の哀れな姿を見ようと野次馬が覗き見しにくることもありました。 そこで、彼女は、同年9月に都から離れた山奥の大原に隠棲することにしました。

滝口入道と横笛ゆかりの滝口寺

京都市右京区の嵯峨野に滝口寺というお寺が建っています。 もともとは往生院三宝院という名だったのですが、明治維新で廃寺となった後、昭和に入って再興されて現在の寺名となりました。 滝口寺という名は、高山樗牛(たかやまちょぎゅう)の小説「滝口入道」が由来となっています。

卒塔婆流しで知られる平康頼の塔・大徳寺

治承元年(1177年)に当寺権勢をふるっていた平家を倒そうという計画がありました。 世に言う鹿ケ谷の変です。 この計画は、事前に平清盛に察知され、関係者は捕えられ、処刑されたり、島流しにされたりしました。 鹿ケ谷の変に関わり島流しとなった者の中には、平康頼という人物もいました。