江戸時代一覧

京都市下京区に立つ佐賀鍋島藩屋敷跡の石碑

明治維新に貢献した4つの藩を総称して薩長土肥と言います。 「薩」は薩摩藩、「長」は長州藩、「土」は土佐藩です。 これら3つの藩は、幕末の京都で活躍し、当時の様々な史跡が今に伝えられています。 ところが、「肥」については、明治維新に貢献したことがあまり知られていません。 「肥」は、肥前のことで、佐賀藩を指します。 幕末の藩主は、鍋島直正で、号は閑叟(かんそう)といいます。

廬山寺にある慶光天皇陵

京都市上京区に廬山寺(ろざんじ)というお寺があります。 廬山寺の境内の東には、光格天皇の父である慶光天皇(きょうこうてんのう)の陵があります。 光格天皇が即位したのは江戸時代後期のこと。 光格天皇の前の天皇は後桃園天皇だったのですが、後桃園天皇には男子がいませんでした。 そのため、後桃園天皇が崩御した後は、慶光天皇の男子であった光格天皇が即位することになりました。

宝暦事件のおかげで平安時代の姿が蘇った京都御所

京都市上京区の京都御所は、平安京ができてから、ずっと同じ場所にあり続けているわけではありません。 平安京の大内裏(だいだいり)は、現在の京都御所よりも西の二条城が建つ辺りにあったのですが、何度も火災に遭い再建されなくなりました。 京都御所が現在地に定まったのは元弘元年(1331年)のことで、仮の内裏とされていた土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)で光厳天皇が即位して以降、明治2年(1869年)まで、天皇の住いとして使用されてきました。 したがって、現在の京都御所は平安時代の大内裏とは違います。 でも、現在の京都御所は、平安時代の印象を残しています。

清浄華院の法然上人御骨塔

8月下旬に京都市上京区の廬山寺(ろざんじ)に参拝した後、少し北に建つ清浄華院(しょうじょうけいん)にも参拝しました。 清浄華院は、浄土宗四ヵ本山に数えられる浄土宗のお寺です。 清浄華院には、年に数回お参りしますね。

江戸幕府が設置した鷹ヶ峰薬園の跡地

病気やケガをした時に治療のために使う薬は、いつから利用されていたのか知りませんが、日本だと江戸時代に全国に薬園が設置されていました。 有名なところでは、江戸の小石川薬園がありますが、京都にも北区の鷹峯(たかがみね)に寛永17年(1640年)に江戸幕府により、「鷹ヶ峰薬園」が設けられています。

麟祥院の方丈と御霊屋を拝観・京の冬の旅2019年

1月下旬に京都市右京区の妙心寺に参拝した時、塔頭(たっちゅう)の麟祥院(りんしょういん)を拝観しました。 麟祥院は、通常非公開の寺院ですが、毎年冬に行われる非公開文化財特別公開の京の冬の旅で、1月10日から3月18日まで特別拝観できます。 これまで、麟祥院の建物内に入ったことがなかったので、この機会に見ておこうと思い拝観することにしました。

清浄華院にある天明の大火の供養塔

1月中旬。 京都市上京区の清浄華院(しょうじょうけいん)に参拝しました。 清浄華院は、浄土宗四ヵ本山に数えられる浄土宗のお寺です。 清浄華院の西側に京都御苑があることから、京都御苑を散策する時にお参りすることが多いですね。 今回も、京都御苑を訪れる前に清浄華院に立ち寄りました。

島原住吉神社と島原西門の石碑

9月上旬に京都市下京区にある輪違屋(わちがいや)と角屋(すみや)の特別公開を見た後、近くに建つ島原住吉神社に参拝しました。 当社を訪れるのは今回が初めてです。 あまり島原に行くことがないので、島原住吉神社という神社があることも、これまで知りませんでした。

島原の揚屋「角屋」を拝観・京の夏の旅2018年

9月上旬に京都市下京区の島原に建つ輪違屋(わちがいや)の特別公開を見た後、近くの角屋(すみや)を訪れました。 江戸時代の花街であった島原では、輪違屋が芸妓や太夫を抱える置屋と呼ばれていました。 一方、角屋は、現在の料亭のような饗宴のための施設である揚屋(あげや)を生業としていました。 その角屋では、7月19日から9月14日まで、京の夏の旅の特別公開が行われています。