9月の平安神宮神苑無料公開・2013年

毎年9月中旬になると京都市左京区の平安神宮で、神苑の無料公開が行われます。 普段は有料なので、こういった機会を利用すると、お得ですね。 2013年は9月19日に神苑が無料公開されました。 ということで、平安神宮に参拝してきました。

台風が過ぎ去った後の桂川、宇治川、木津川・2013年9月17日の状況

2013年9月15日の夜から16日の朝にかけて京都を襲った台風による豪雨は、各地に大きな爪痕を残していきました。 嵐山を流れる桂川や京都市中心部を流れる鴨川が普段では考えられないほど水位が上昇。 特に嵐山は渡月橋付近が大洪水になり、周辺の旅館やお店、住宅が多数浸水しました。 他にも京都府北部の福知山でも由良川が氾濫し、大きな被害が出ました。 テレビのニュースでは、あまり採り上げられてはいませんでしたが、八幡市も浸水の被害が出ており、桂川、宇治川、木津川もあり得ないほど水位が上昇していました。

平安時代初期から京都にある住吉神社

大阪に住吉大社という有名な神社があります。 住吉大社には、住吉三神と呼ばれる海神が祀られています。 そのため、海運業や漁業関係者からの崇敬が篤く、大阪だけでなく、海上交通の拠点となる地には住吉神社が建てられ、全国に2千以上もあるということです。 あまり海とは関係のない京都市内にも下京区に住吉神社があります。

坂本竜馬はなぜ近江屋で暗殺されたのか?

坂本竜馬の暗殺については、その実行犯が誰だったのかということに関心が集まりますが、もうひとつ不思議に思うのが、なぜ暗殺された時、近江屋にいたのかということです。 近江屋跡は四条河原町の交差点を少し北に歩いたところにあり、そこから東に5分も歩けば、土佐藩邸跡があります。 坂本竜馬は、土佐藩出身だったのですから、わざわざ近江屋に宿泊しなくても、土佐藩邸にいれば良かったのではないかと思ってしまいます。

青蓮院にある5本のクスノキ

京都市東山区の地下鉄東山駅から南に5分ほど歩いた辺りに建つ青蓮院(しょうれんいん)には、立派なクスノキが5本植えられています。 この5本のクスノキは、京都市登録天然記念物となっています。 天然記念物に登録されるだけあって、背がとても高く、横に張り出した枝も飲み込まれそうなくらいの迫力があります。

御池大橋の近くにある夏目漱石の句碑

明治時代から大正時代に活躍した文豪夏目漱石は、生涯に4度京都を訪れています。 最初は明治25年(1892年)の夏に友人の正岡子規と訪れ、その後、明治40年春、明治42年、大正4年(1915年)と京都に来ています。 最後の訪問の時は、京都市中京区の御池大橋付近の北大嘉(きたのたいが)という旅館に宿泊しています。

東寺と教王護国寺はどちらが正式名称なのか?

京都市南区に建つ五重塔で有名な東寺。 東寺には、他にも教王護国寺という名称があります。 金閣寺の正式名称が鹿苑寺(ろくおんじ)、銀閣寺の正式名称が慈照寺、苔寺の正式名称が西芳寺というように京都のお寺では、2つの名で呼ばれているところがいくつもあります。 東寺もそのひとつですね。 では、東寺と教王護国寺はどちらが正式名称なのでしょうか。

豊臣秀吉を祀る豊国神社

京都市東山区に建つ豊国神社は、その名から想像できるように豊臣秀吉を祀っている神社です。 豊臣秀吉というと、大坂城のイメージが強いですが、京都との関係が深い人物です。 京都を城郭都市とするために御土居を造りましたし、亡くなったのは伏見城だったわけで、秀吉は全盛期から晩年まで、京都で過ごしていました。 秀吉が亡くなると、その遺言により、遺体は東山の阿弥陀ヶ峰に葬られ、そのふもとに廟社が建てられ、後陽成天皇から豊国大明神の神号を賜りました。 しかし、大坂夏の陣で豊臣家が滅亡すると徳川幕府により、廟社は壊されてしまい、明治時代まで再建されませんでした。

局長なのに粛清された新見錦と芹沢鴨

文久3年(1863年)に結成された新撰組は、当初は、芹沢鴨(せりざわかも)、新見錦(にいみにしき)、近藤勇(こんどういさみ)の3人が局長、つまり、組織のトップでした。 しかし、最終的には近藤勇だけが局長となり、他の2名は局長を降りることになります。 では、芹沢鴨と新見錦は、なぜ、局長を降ろされたのでしょうか。