3月下旬に六角堂に桜を見に行った後、烏丸通を北に約15分歩き、京都市上京区に建つ有栖川宮旧邸 有栖館の特別公開を見に行ってきました。
有栖館は、普段は非公開なのですが、2024年3月23日から29日まで、平安女学院の創立150周年記念公開が行われています。
京都旅屋さんのブログで、拝観料が無料だということを知り、この機会に見ておかねばと思い訪れた次第であります。
有栖館から望む庭園
有栖川宮旧邸 有栖館は、地下鉄の丸太町駅から北に約5分歩くと到着します。
丸太町通に面する表門の前にやって来ましたが、門は閉ざされていました。
どうやら入口は、ここではないようです。
表門は、祇園をこよなく愛した吉井勇が青天門と名付け、毎年春になると、そのかたわらで、紅枝垂れ桜が美しい姿を見せてくれます。
この日は、まだ5分咲き程度でしたが、青空を背にピンク色の花がきれいに見えましたよ。
有栖川宮旧邸の南側に建つ長屋門に向かうと、ここが入り口になっていました。
入り口で署名し、パンフレットをもらって、いざ中へ。
敷地内から先ほどの紅枝垂れ桜とその他の枝垂れ桜を観賞。
1本の枝垂れ桜はまったく花が咲いていなかったので、遅咲きの八重紅枝垂れ桜なのでしょう。
もう1本の枝垂れ桜は咲き始めでした。
例年だと、3月も終わりが近づくと、もっと多くの花を咲かせているものなのですが、今年は開花が遅れているようです。
ちなみに邸内の枝垂れ桜は、昭和27年(1952年)に堂本印象が、醍醐寺の三宝院にある実生(みしょう)の桜を移植したもので、これは、豊臣秀吉が醍醐の宴を催した当時の桜の孫にあたるそうですよ。
玄関から有栖館の中に入りましょう。
有栖館の中には、有栖川宮家の系図やその他の品が展示されていました。
有栖川宮と言えば、幕末に皇女和宮の婚約者だった有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)が有名です。
和宮が14代将軍徳川家茂に降嫁したため、熾仁親王は和宮と結婚することはありませんでした。
やがて、熾仁親王は、戊辰戦争(ぼしんせんそう)の総督となり、江戸城攻撃のため東下することになったのは、なんという運命のいらずらでしょうか。
また、熾仁親王は、西南戦争の際も新政府の総督として戦地に赴いています。
さて、有栖館は、玄関棟、住居棟、客間棟からなり、順路に従って最初に見るのは客間棟です。
客間棟内部は広々としています。
床の間と付書院を備えた2畳の上段の間のある12畳半の座敷で、畳を上げれば、洋間や能舞台としても使用できる15畳の板張りの間で構成されています。
客間棟の南側には庭園が配されています。
戸を開けることはできませんが、廊下から庭園を観賞できましたよ。
有栖館には、前庭、中庭、南庭があり、いずれも造園家の「植治」十一代目・小川治兵衛氏により作庭された「平成の植治の庭」だそうです。
小川治兵衛と言えば、平安神宮の神苑などを作った造園家として有名ですが、それは七代目の小川治兵衛です。
客間棟から住居棟にやって来ました。
住居棟には、和室がいくつかあり、こちらでも、様々な展示品を見ることができましたよ。
中庭には日差しが降り注いでいます。
晴れの日は、冬でも室内が温かそうですね。
細長い廊下。
こちらの和室は、建物の東側にあるので、玄関棟のものだと思われます。
有栖川宮旧邸は、もともと京都御所の建礼門前にあったのですが、明治6年(1873年)に京都裁判所(後の京都地裁)の仮庁舎となりました。
その後、現在の場所に移築され、京都地裁長官官舎として大きく改築され、平成19年(2007年)まで使用されたそうです。
そして、平安女学院が、文化価値の高い有栖川宮旧邸を保存し、伝統文化の教育や文化活動の拠点として活用するため、同20年8月に取得したとのこと。
こうやって文化財の保護が行われているんですね。
一方で、買い手が付かなかった文化財は消えていく運命にあるのでしょう。
有栖館から外に出て、前庭をしばし鑑賞。
南東角のコケは、しっとりした黄緑色をしていました。
この色を見ると、春が到来したと実感しますね。
この後は、南隣にある聖アグネス教会の特別公開を見に行きます。