10月22日に行われた時代祭を丸太町通で観覧しました。
吉野時代の行列の次にやって来たのは、鎌倉時代の行列です。
鎌倉時代の行列は、城南流鏑馬列(じょうなんやぶさめれつ)だけと、他の時代よりも寂しいです。
城南流鏑馬列
鎌倉時代の旗が、堺町御門を出て、丸太町通に姿を現しました。
その後からは、城南やぶさめ列の旗が続きます。
流鏑馬とは、馬上から的を射る競技で、平安時代から武者のたしなみとして盛んに行われてきました。
承久3年(1221年)5月。
後鳥羽上皇は、鎌倉幕府から朝廷の権威を取り戻そうと近畿10余国から1,700人の武士を集め、北条義時追討のための挙兵準備を行いました。
その際、武士たちを集める名目に流鏑馬を利用しました。
城南流鏑馬列は、その場面を再現したものです。
馬に乗った射手武士がやってきました。
さすがに駆けながら的を射るようなことはしません。
このまま歩いて、平安神宮に向かいます。
射手武士の衣装は狩装束です。
頭に綾藺傘(あやいがさ)を被り、矢を射る時に袖が邪魔にならないようにする射籠手(いごて)を左手から肩にかけて着けています。
また、足には行縢(むかばき)を履き、背には何本もの矢を負っています。
行列の所々で流鏑馬の的も登場します。
童も射手武士の前を進んでいきます。
城南流鏑馬列は、それほど長くないので、すぐに目の前を通り過ぎていきました。
これで、鎌倉時代の行列は終わりです。
この後は、藤原時代の行列に続きます。