7月25日。
京都市東山区の八坂神社に狂言奉納を見に行きました。
八坂神社では、毎年この日に茂山忠三郎社中による祇園祭の狂言奉納が行われます。
祇園祭は、24日の後祭の山鉾巡行と還幸祭が終わった後も、31日まで行事が催されます。
還幸祭を終えた八坂神社の風景
八坂神社には、京阪電車の祇園四条駅から四条通を東に約5分歩くと到着します。
四条通に面する西楼門をくぐって参道へ。
24日の山鉾巡行と還幸祭が終わったため、たくさん並んでいた露店がすべてなくなっていました。
そして、参拝者の数も減っています。
この日は、最高気温が36度の予報で朝から暑かったです。
八坂神社の境内も、暑かったですよ。
それでは、本殿にお参りをしましょう。
狂言奉納が行われるのは、境内の南側にある能舞台です。
時刻は、午前10時40分頃。
すでに満席となっていて、立ち見の人の数も多かったです。
狂言が始まるのは午前11時からなので、それまで境内を見て歩き時間をつぶすことに。
舞殿には、還幸祭を終え、寺町四条の御旅所から戻ってきた3基の神輿が奉安されています。
28日の神輿洗式まで、神輿を見ることができますよ。
蚊相撲
開演の午前11時が近づいてきたので能舞台へ。
さっきよりも人が増えており、正面から見ることができなくなっていました。
仕方ないので、能舞台の西側から見ることに。
最初の狂言は、「蚊相撲」です。
演者の方が能舞台に進み、お辞儀をして狂言が始まります。
蚊相撲は、大名が、新たな家臣を召し抱えようと思い、太郎冠者(たろうかじゃ)に探しに行かせる話です。
太郎冠者は、街道を歩き良い人がいないかと探します。
すると、街道に1人の男が現れました。
これは良き人ではないかと思った太郎冠者は、男に話しかけます。
すると、男は相撲が得意だと言いました。
これは、良き人を見つけたと思った太郎冠者は、男に出身地を訊ねます。
すると男は近江の守山出身たと言いました。
守山は、相撲が有名な地。
それなら、この男が相撲が得意というのも本当に違いないと思った太郎冠者は、大名の元に連れていくことにしました。
しかし、この男、実は蚊の精だったのです。
蚊の精は、人と相撲を取って、たくさん血を吸ってやろうと考えていました。
太郎冠者が蚊の精を連れて帰って来ると、大名は相撲どころの守山の出身であることに大いに喜びます。
そして、蚊の精の相撲の実力を見るため、相撲を取らすことにしました。
しかし、今、大名が抱えている相撲取りは出払っていたので、大名自らが相撲を取ることになります。
相撲の用意をする両人。
蚊の精は、口にストローのようなものを挿して相撲に臨みます。
そして、相撲が始まると、蚊の精は、そのストローのようなもので大名から血を吸いました。
血を吸われた大名は、フラフラっとしてしまいます。
大名は太郎冠者に自分の勝ちか負けかを訊ねましたが、太郎冠者は大名の勝ちとは言えないと答えます。
すると、大名は、はっと思い出します。
そして、もう一度、太郎冠者に男の出身はどこかと訊ねました。
太郎冠者が守山だと伝えると、大名は、守山は蚊が多いことで有名だと言い、あの男が蚊の精であることに気づきました。
そこで、大名は、もう一度、蚊の精と相撲を取ることにしました。
しかし、今度は蚊に血を吸われまいと、太郎冠者に相撲が始まったら、うちわで蚊を扇ぐように命じます。
蚊は風に弱いから、フラフラとしている時にストローのようなものを取り上げ、投げてしまおうという作戦です。
そして、再び相撲が始まると、太郎冠者は蚊の精に向かってうちわを扇ぎだしました。
扇がれた蚊の精は、予想したとおり、フラフラとし始めます。
そこを狙って大名がストローのようなものを取り上げ、蚊の精は倒されてしまいました。
ここで、「蚊相撲」は終了です。
この日、狂言は7演目が行われる予定でしたが、6演目に減っていました。
途中、正午から午後2時頃まで中入(昼休み)があり、全ての演目が終了するのは、午後3時30分頃の予定でした。
私は蚊相撲だけを見て八坂神社から出ました。
私と同じように蚊相撲を見て帰る人がいましたから、最後まで狂言を見る人は、それほど多くないのかもしれません。
祇園祭は、山鉾巡行に注目が集まりますが、その他の行事も見ることができます。
八坂神社では、特に多くの行事が行われるので、7月は、ぜひ八坂神社に参拝してください。
なお、八坂神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。