京都市北区の金閣寺は、京都の中でも人気の観光名所です。
誰もが一度は聞いたことがある寺院であり、そして、金色に輝く舎利殿(金閣)をテレビなどで見たことがない日本人はほとんどいないでしょう。
金閣寺は、もともとはお寺ではなく、室町幕府3代将軍の足利義満の隠居所として造営された北山殿でした。
それゆえか、金閣寺の庭園は、壮大な景観をしています。
山々に囲まれた鹿苑寺庭園
金閣寺は、市バス停「金閣寺前」で下車してすぐの場所に入り口があります。
入り口から境内をまっすぐ北に進んでいくと受付があるので、そこで拝観料を納めて金閣が建つ鹿苑寺庭園(ろくおんじていえん)に向かいます。
鹿苑寺庭園は、山々に囲まれた大きな池に金閣が建っているだけの庭園ですが、その景色は壮大であります。
鏡湖池と呼ばれる池の奥に見える山々がどこまでも連なっているかのようです。
金閣寺がある地は、かつて、西園寺家の別荘である北山第がありましたが、応永4年(1397年)に西園寺公経(さいおんじきんつね)から足利義満が譲り受け、北山殿としました。
足利義満の北山殿は、隠居所でしたが、彼の死後、寺院に改められます。
寺名は、義満の法号鹿苑院殿から取り、鹿苑寺と名付けられます。
現在、金閣寺と呼ばれていますが、それは通称であり、正式には北山鹿苑寺(ほくざんろくおんじ)といい、上京区にある相国寺の山外塔頭(たっちゅう)です。
鏡湖池と金閣
鏡湖池を中心とする鹿苑寺庭園は、金閣の手前に鶴島と葦原島が配されています。
鹿苑寺庭園に入ると、最初に南側から北に向かって金閣を眺めることになります。
金閣には、お釈迦さまの舎利と呼ばれるお骨が祀られているので、正式には舎利殿といいます。
北山殿が造営されたのは、足利義満が存命中のことですから、当時は寺院ではありませんでした。
それなのに舎利殿や仏殿といった建物が、建てられたのは、義満が将軍職を譲り、出家して道義と称したことが理由です。
義満は、天皇が譲位して上皇や法皇になるのをまねて、上皇の御殿である仙洞御所になぞらえ、自らも北山殿を造営したのです。
金閣寺が、お寺なのに鹿苑寺庭園が壮大に見えるのは、もともと寺院ではなく、権力者の隠居所だったからなのでしょう。
そして、彼の権力を象徴するのが金閣でした。
金閣は、1層目が寝殿造の法水院(ほっすいいん)、2層目が武家造の潮音洞(ちょうおんどう)、3層目が中国風の禅宗仏殿造の究竟頂(くっきょうちょう)からなります。
義満は、3層目の究竟頂に立ち、武士と朝廷を支配する権力を持っていることを誇示したと考えられます。
鹿苑寺庭園は、南側だけでなく、東側や北側からも鑑賞できます。
下の写真は東側から見た鏡湖池です。
東側から見ても、奥に山が見え、庭園がどこまでも続いているように感じさせます。
秋になると紅葉を見ることもできますよ。
鹿苑寺庭園は、池泉舟遊式庭園です。
鏡湖池を舟に乗って回遊するようになっているのでしょうが、一般の観光客は、そのようにして庭園を巡ることはできません。
通常は、鏡湖池のほとりにある散策路を順路に従い、金閣を左に見ながら北に向かって進んでいきます。
したがって、鹿苑寺庭園は、一般の観光客にとっては、池泉回遊式庭園となっています。
金閣を後ろから眺めます。
このような角度から金閣と鏡湖池を見るのは珍しいですね。
でも、足利義満は、金閣の究竟頂から、見下ろすようにこのような景色を眺めていたのでしょう。
鹿苑寺庭園の南には、京都の街がありますが、金閣の後ろからもまったく街の建物が見えません。
鏡湖池の周囲のどの場所から見ても、やはり、鹿苑寺庭園は壮大です。
ちなみに鏡湖池の西側には、通常、立ち入ることはできません。
金閣寺を訪れる目的は、金色に輝いた金閣を見ることにあるでしょうが、鏡湖池を中心とした鹿苑寺庭園の壮大さも、じっくりと味わっていただきたいですね。
なお、金閣寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。