白峯神宮にある小さな浄心の庭

お寺や神社では、庭を見かけることがよくあります。

池泉回遊式庭園や枯山水庭園など、多くの場合、和風の庭になっていますね。

庭園の規模は様々で、天龍寺のように広大な庭園もあれば、坪庭のような小さな庭園もあります。

規模の大きな庭園を見るのは爽快ですが、一方で、小さな庭園も見ていると心が落ち着きます。

庭園には、それぞれに良さがありますね。

小さな庭園といえば、京都市上京区の白峯神宮にある浄心の庭が、私がこれまで見た中で、最も小さな庭園です。

白峯神宮創建150年の記念に設置された歌碑

白峯神宮は、地下鉄の今出川駅から西に5分ほど歩いた場所に建っています。

創建は、慶応4年(1868年)9月ですから、京都にある神社の中では、かなり新しいです。

境内

境内

幕末動乱の中、平安京最後の天皇の孝明天皇が国難を乗り切るため、崇徳天皇の御霊を讃岐から京都に戻して祀ろうと考えましたが、その願いは叶わず、慶応2年に崩御しました。

孝明天皇の遺志を受けた明治天皇は、慶応から明治に改元するに先立ち、崇徳天皇の御霊を京都に戻し、和歌・蹴鞠の公卿宗家「飛鳥井家」の邸宅地跡に社殿を造営しました。

これが、白峯神宮の始まりです。

その後、明治6年(1873年)に淳仁天皇も祀られるようになります。

さて、小さな浄心の庭ですが、これは、境内の東にあります。

浄心の庭

浄心の庭

上の写真に写っているのが浄心の庭です。

畳半畳ほどの敷地に崇徳天皇欽仰之碑と崇徳天皇の歌碑が置かれています。

この崇徳天皇の歌碑は、白峯神宮創建150年を記念して建立されたものです。

崇徳天皇欽仰之碑と歌碑の間には、瀧石が置かれ、その前に水の流れを表現した2種類のコケが生えています。

非常に小さな庭ですが、立派な枯山水庭園です。

歌碑には、崇徳天皇が詠んだ以下の歌が刻まれています。

瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ

白峯神宮の説明書に歌意が記されていたので紹介します。

浅瀬の流れが速いので、岩に一度はせき止められてしまう滝川の水がふたつに分かれてものちに再び合流するように、恋しい人に別れても後日必ず逢おうと思う

上皇となった崇徳天皇は、保元の乱で、後白河天皇に敗れ讃岐に島流しとなりました。

その後、二度と京都に戻ることができず、彼の地で亡くなりました。

上の歌は、百人一首に収録されている有名な歌で、最高傑作の一首とされています。

700年の歳月が過ぎ、崇徳天皇の御霊は、明治天皇によって、京都に戻ることができました。

この事実を知ると、上の歌がなんとも悲しい歌だと感じますね。

浄心の庭は、白峯神宮創建から150年後の2018年春にはありました。

庭ができたのは、それより前ですね。

ちなみに浄心の庭がなかったときは、崇徳天皇欽仰之碑だけが置かれていました。

以前の崇徳天皇欽仰之碑

以前の崇徳天皇欽仰之碑

以前の方が、石碑の扱いが丁重な感じがします。

白峯神宮の浄心の庭は、非常に小さな庭です。

これよりも、小さな庭が京都にあるのでしょうか。

いずれにしても、こんなに小さな庭は珍しいので、白峯神宮に参拝した時は、ぜひご覧になってください。

なお、白峯神宮の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

宿泊