二条城から堀川通を北に少し歩くと、昔ながらの和風の建物が建っています。
その建物の前には、石碑と説明書が設置されており、近くに寄って確かめてみると、「伊藤仁斎宅(古義堂)跡並びに書庫」と書かれていました。
そう、ここは江戸時代の漢学者・伊藤仁斎の住宅「古義堂」があった地です。
約240年続いた古義学
下の写真に写っているのが、古義堂跡です。
説明書によると、現在の建物は、明治23年(1890年)に遺構をもって再建したものだとか。
また、2階建て、土蔵造りの書庫は伊藤仁斎在世当時のものだそうです。
伊藤仁斎は、寛永4年(1627年)にこの地に生まれました。
彼は、当初朱子学を修めたのですが、後にこれを排して古義学を唱え、寛文2年(1662年)から宝永2年(1705年)に79歳で亡くなるまでの約40年間、私塾を開き教授に務め、その門下生は3千人を数えたと言われています。
伊藤仁斎が古義学を唱えたのは、朱子学に疑問を感じたからです。
朱子学は、形式的だったり抽象的だったりして、人間の生活に根差した学問ではないと感じた伊藤仁斎は、孔子や孟子の教えを学びます。
そして、孔子や孟子の教えの方が日常生活に活かせる人の道を説いていることを知ります。
儒教の中では、朱子学よりも、孔子や孟子の教えの方が古く、伊藤仁斎はその原典を本旨とする古義学に到達しました。
伊藤仁斎の子の東涯は、父の教えの紹述につとめ、その学派は堀川学派や古義学派と呼ばれるようになります。
また、子孫も永く学派を伝え、寛文2年(1662年)から明治39年(1906)まで244年にも及びました。
二尊院にある伊藤仁斎のお墓
現在、伊藤仁斎のお墓は、京都市右京区の二尊院にあります。
下の写真に写っているのが、彼のお墓です。
近くには、伊藤東涯のお墓もあります。
個人のお墓にしては大きいですね。
二尊院は、春の桜や秋の紅葉が美しいお寺として知られていますが、伊藤仁斎のお墓があることを知っている人はそれほど多くないと思います。
彼のお墓は、境内の中でも山の上の方にありますから、そこまで上る人が少ないのでしょう。
二尊院に訪れた時は、伊藤仁斎のお墓にもお参りをしてはいかがでしょうか。