京都には、たくさんの南北朝時代の史跡があります。
京都は、室町幕府ができた場所であり、また、鎌倉幕府の出先機関であった六波羅探題が置かれたところでもあったので、南北朝の争乱の舞台となったんですよね。
私は、過去に京都にある太平記や南北朝時代の史跡を探しては訪れ、ブログで紹介してきましたが、最近、それらの記事数が多くなってきたので、そろそろまとめておいた方が良さそうだなと思っていました。
ということで、この記事で、太平記・南北朝時代の史跡を紹介した記事を一覧にしてまとめておきます。
両統迭立から正中の変
元弘の変から鎌倉幕府の滅亡
- 元弘の変で日野俊基が捕えられた京都御所
- 後醍醐天皇の南都潜行
- 護良親王の挙兵に対して幕府軍が布陣した一乗寺下り松
- 笠置山落城後に後醍醐天皇が移送された平等院
- わずか数十騎で楠木正成討伐に向かった宇都宮公綱
- 山崎と京都を何度も往復した赤松円心
- 六波羅攻めのために千種忠顕が陣取った石清水八幡宮
- 久我畷の戦いで佐用範家に討ち取られた名越高家
- 四条河原で討ち死にした北条時益
建武の新政
- 後醍醐天皇の還幸を待ち望んだ東寺の見返りの松
- 建武の新政の中心地は高級住宅街だった
- 足利兄弟と護良親王との対立を深めた強盗事件
- 護良親王の足利尊氏邸襲撃
- 後醍醐天皇の石清水行幸
- 建武の新政に嫌気がさした万里小路藤房が出家した相国寺
足利尊氏の離反
湊川の戦いから後醍醐天皇崩御
- 楠木正成の戦死を招いた清涼殿での坊門清忠の一言
- 千種忠顕が戦死した雲母坂
- 東寺の東大門が不開門と呼ばれている理由
- 名和長年最期の地・名和長年公遺蹟
- 後醍醐天皇が幽閉された花山院
- 金ヶ崎城の籠城戦で自害した尊良親王
- 花山院を脱出した後醍醐天皇の吉野遷幸
- 伏見稲荷大社にある後醍醐天皇御製が刻まれた石碑
- 嵯峨野の滝口寺にある新田義貞の首塚
- 高師直の攻撃で炎上した石清水八幡宮
- 後醍醐天皇の崩御と天龍寺の造営