日本の神話の中で、伊弉諾命(いざなぎのみこと)が、黄泉(よみ)の国から帰ってきたときに体の穢れを払うために川に入って身を清めたと伝えられています。
そして、川から出た時に伊弉諾命は三柱の尊い神さまを生みました。
その神さまは、天照大神、月読尊(つくよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)で、あわせて三貴子(みはしらのうずのみこ)と呼ばれています。
この中で、天照大神や素戔嗚尊については、比較的有名ですが、月読尊については、知らない方が多いのではないでしょうか。
月読尊とは、一体どういう神さまなのでしょう。
夜の世界を支配する神さま
月読尊は、その名から想像できるように夜と関係がある神さまです。
天照大神が太陽神であり、昼の世界を支配する神さまであるのに対して、月読尊は夜の世界を支配する神さまです。
月読尊は、食事をつかさどる保食神(うけもちのかみ)という女神を殺し、その死体から穀物や家畜が生まれ、それにより、人々は穀物や家畜を育てて生活するようになったと神話の中では伝えられています。
このことから、月読尊は、五穀豊穣の神さまとして崇められています。
また、月は欠けても満ち、満ちても欠けることから、古代の人々は、月が再生と万死をもたらすものと考えたことから、夜の世界を支配する月読尊は、不老長寿の神さまとされました。
他にも諸願成就の神さまとしても信仰されています。
西京区の月読神社
京都市内で月読尊を祀っている神社といえば、京都市西京区にある月読神社(つきよみじんじゃ)です。
月読神社の創建は古く、顕宗天皇(けんぞうてんのう)3年(487年)に阿閉臣事代(あへのおみことしろ)が朝鮮半島の任那(みまな)に遣わされたとき、壱岐で月読尊があらわれて「我が月神を祀れ、福慶あらむ」といったため、帰国後に天皇にそれを伝え、社を創建したと伝えられています。
当初は、山城国葛野郡歌荒樔田(うたあらすだ)にありましたが、斎衡3年(856年)に現在の松尾山南麓に移ってきました。
月読神社は、以前は朝廷からたびたび奉幣があり格式も高かったそうですが、江戸時代になってから松尾大社に従属し、境外摂社となっています。
境内には、月延石(つきのべいし)という石が祀られています。
その昔、神功皇后がこの石でお腹をなでたところ安産になったと伝えられています。
そのため、月読神社は、安産の神さまとしても信仰されるようになりました。
月読尊は、あまり聞いたことがない神さまですが、古代の人々にとっては、食、長寿、出産と日々の生活と深い関わりのある神さまだったのでしょうね。
なお、月読神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。