2月3日の初午の日に参拝した伏見稲荷大社。
お山めぐりも、七福神にお参りを済ませ、そろそろ終わりが近づいてきました。
荒木神社
稲荷山の北側から下山し、そろそろ道が平たんになってきたところで、荒木神社が現れました。
入り口付近は、たくさんの参拝者で賑わっています。
結構、人気がある神社なんですね。
境内に入り、少し進むと拝殿が建っています。
拝殿の後ろには本殿も建っているのでお参りをしましょう。
荒木神社は、和銅4年(711年)の初午の日に稲荷大神が稲荷山に鎮座した時、稲荷山の茨谷に稲荷大神の荒魂(あらみたま)を祀ったのが始まりとされています。
現在の社名は、荒魂の魂を木と呼び、また、稲荷山に木々が生い茂っていたことから木と呼ぶようになったのが由来とのこと。
祭神は、荒木大神、白砂大神、荒玉大神です。
境内を見渡すと、いろんなところに神さまが祀られているのに気づきます。
こちらは、腰痛の神さまの足利稲荷大明神です。
近くの説明書によれば、元は、京都御所の南にある町屋の坪庭に灯籠として飾られていたものだそうです。
昭和40年(1965年)頃に家人が鎧武者の幽霊が出ると主人に訴えたのですが、取り合わなかったところ、家人が皆、原因不明の腰痛で起き上がれなくなりました。
ある日、見知らぬお坊さんが訪ねてきて、原因は庭の灯籠にあるから、稲荷山の荒木神社に納めるようにと言いました。
そこで、庭の灯籠を掘り起こしたところ、「足利稲荷大明神」「おくの坊」との名が刻まれていました。
灯籠は、荒木神社に運ばれましたが、その仕事をした石屋も腰痛になってしまいます。
当時の宮司は、今とは別の場所に祀ろうと考え、仮に現在の手水の隣に置くことにしたのですが、今度は信者世話役をしていた奥さんが腰痛で起き上がれなくなり、夢に鎧武者が現れ、「宮司に今の場所に祀ってほしいと伝えてくれ」と言われました。
それを聞いた宮司が現在の場所に灯籠を祀ると、たちまち全員の腰痛が治り、以来、「腰痛を治して下さる神様」と信仰を集めるようになったそうです。
お山めぐりの後に腰が痛くならないよう、お願いしておきましょう。
こちらは、病気平癒と縁切りの神さまである薬一大神です。
小さな祠に祀られているのは、口入稲荷大神です。
縁結びの神さまとして、古くから信仰されており、人々の良縁、求人、就職など、いろいろな人と人との縁を結んでくださるそうですよ。
口入稲荷大神の使者である口入人形も、社務所で授かることができます。
荒木神社には、他にも、いろんな神さまがいらっしゃいます。
お山めぐりの際は、荒木神社にも立ち寄っておきたいですね。
末廣大神のカエル
荒木神社を出た後も、稲荷山を下りて行きます。
しばらく進むと、割と新しい石造りの鳥居が立っていました。
ここは、末廣大神を祀る神社の入り口です。
鳥居をくぐると、もうひとつ朱色の鳥居が立っています。
鳥居の両前では、大きなカエルが背中に小さなカエルを負ぶっていました。
境内をよく見渡すと、いろんなところにカエルがいますね。
朱色の鳥居の前に設置された賽銭箱もカエルの形をしています。
このカエルも、背中に2匹の小さなカエルを負ぶっています。
カエルの下の石には、福かえると刻まれていましたよ。
境内に祀られているのは、御福大神で、古来より福を招き、すべての運を招来すると伝えられているそうです。
「体を冷やさず気をつけて福が来るようお祈りください。」と書かれていたので、福を授かれるように祈願しておきました。
先ほどの荒木神社は人が多かったですが、末廣大神の境内には私だけしかいませんでした。
鳥居の近くにもカエルがいれば、気になって境内に入る人が増えそうですね。
石造りの鳥居から境内を出ると、正面にネコがいました。
近づいても逃げません。
頭を撫でると、小さく「ニャー」と声を出します。
ここで、末廣大神にお参りする人を見守っているのでしょうか。
この後は、伏見稲荷大社の外拝殿に戻ります。