6月下旬に京都市中京区の二条城を拝観しました。
二の丸庭園を見終え、二の丸の西側に向かいます。
二の丸の西側には内堀で囲まれた本丸があり、お城らしい風景を見ることができます。
本丸庭園の緑
本丸の東側には、東橋が架かり、その奥に本丸櫓門があります。
本丸への入り口は、この本丸櫓門と西側の本丸西櫓門だけです。
現在は、本丸西櫓門が焼失したことから、本丸の入り口にある門は本丸櫓門のひとつのみです。
戦時中には、木橋を落として敵が渡れないようにし、さらに火器に対する備えとして扉は銅板で覆われています。
内側の土塀には鉄砲で攻撃するための穴もあり、本丸には井戸や米蔵もあるので、籠城戦に備えることもできます。
後水尾天皇の行幸の際には、木橋を2階橋とし、天皇が二の丸御殿内から橋の2階の畳廊下を通って、地上を歩くことなく、天守まで進めるようにされていました。
2階橋の一部は、昭和5年(1930年)頃まで残っていましたが、現在は解体され、部材の多くが土蔵に保管されているそうです。
本丸櫓門をくぐると、立派な石垣が現れます。
ここを通り抜けようと思っても、石垣の上から攻撃されるので、なかなか先には進めそうにありません。
また、石垣の奥に石段があるのですが、右に曲がって左に曲がってと、まっすぐに上れないようになっています。
これも、敵に対する備えなのでしょうね。
石段を上って南に進むと、緑が美しい本丸庭園が現れます。
梅雨ということもあり、草木にみずみずしさを感じます。
本丸庭園は、明治29年(1896年)に明治天皇の指示により造られた庭園です。
天皇は、本丸御殿の最上部から指示を出していたそうです。
その指示は、植栽にまで及んだとのこと。
ちなみに現在の二の丸庭園になる前は、枯山水庭園でした。
本丸庭園は、芝生の緑がとても美しいです。
南側には、築山が配されているので、全てが平坦な庭園ではありません。
約2万平方メートルある本丸に造営された庭園は、とても広く感じますよ。
天守閣跡からの眺め
本丸の南西に向かいます。
そして、石段を上ります。
石段の先は、かつて天守閣が建っていた場所です。
二条城の天守閣は、寛永3年(1626年)に伏見城から移築したものと考えられています。
屋根は5重ですが、内部は地上5階、地下1階の大きさだったようです。
後水尾天皇は、二条城の天守閣に2回登っていますが、天皇が登った天守閣は二条城だけと伝えられています。
石垣の高さは約18メートル、広さは約427平方メートルです。
天守閣跡は、本丸の南西角にありますが、以前は、二条城の敷地の北にありました。
その時の天守閣は、大和郡山城のものであったと伝えられており、寛永年間(1624-1644年)に城域を拡張する際に淀城へ移築されたそうです。
天守閣跡は、無人でした。
北東を眺めると、二の丸御殿の奥に比叡山が見えます。
空は曇っていましたが、割と遠くまで眺めることができました。
西側の堀を見下ろします。
堀の幅はとても広く、泳いで本丸にたどり着くのは難しそうです。
天守閣から京都の街を360度眺めたので、石段を下ります。
見下ろす石段は、急角度に見えますね。
工事中の本丸御殿
天守閣跡の次にやって来たのは、本丸御殿です。
本丸御殿は、平成29年(2017年)6月から保存修理及び耐震補強工事が行われています。
完成予定は、令和4年(2022年)です。
本丸御殿は、二条城が皇室の離宮となった後、明治26年(1893年)に京都御所の旧桂宮家今出川屋敷の主要な建物を移築したものです。
かつて、寛永3年に建てられた本丸御殿は、天明の大火(1788年)で焼失し、15代将軍徳川慶喜が建てた仮御殿も明治14年に取り壊されています。
現在の工事では、瓦の下の野地板に敷いていた土を取り除き重量を軽くして耐震性を高めたり、狩野永岳が描いた障壁画の汚れを取るなどの修理が行われています。
本丸御殿は、修理期間中、素屋根に覆われてその姿を見ることができませんが、塀にはどのような工事を行っているのかの説明や写真が貼られていますよ。
どのような工事をしているのかを知るのも、なかなか興味深いですね。
この後は、西南隅櫓のアジサイを見に行きます。