7月24日に行われた祇園祭後祭の山鉾巡行を見に行きました。
後祭で巡行する山鉾は10基で、5基目の鈴鹿山が通過し、これから後半に入ります。
6基目に登場するのは南観音山です。
南観音山
大きな曳山(ひきやま)の南観音山が大勢の人に曳かれてやってきました。
御神体は、楊柳観音(ようりゅうかんのん)と善財童子です。
南観音山は、上り観音山と呼ばれる北観音山に対して下り観音山とも呼ばれていますね。
囃子方の上の天水引には、玄武、青龍、白虎、朱雀の四神が描かれています。
後ろ側の見送りには龍が描かれており、諸病を防ぐといわれる柳の大枝をさしています。
また、山の四隅には金色の薬玉が吊るされており、こちらも諸病を治すと伝えられていますよ。
役行者山
7基目にやってきたのは、役行者山(えんのぎょうじゃやま)です。
役行者山は、山岳信仰、修験道を主題にした山です。
御神体は、修験道の開祖の役行者、一言主神(ひとことぬしのかみ)、葛城神(かつらぎのかみ)です。
御神体が3体なのは、この役行者山だけです。
四条烏丸に向かって進む役行者山。
山の後ろに座る役行者が堂々として見えます。
浄妙山
8基目は浄妙山の登場です。
浄妙山は、源頼政が平家打倒に起ち上がった宇治川の橋合戦を題材にした山です。
御神体は、筒井浄妙と一来法師(いちらいほうし)です。
「悪(あ)しう候(そうろう)、浄妙坊」と言いながら、筒井浄妙の頭を飛び越えていく一来法師が山の上で再現されています。
浄妙山と言いながら、頭を飛び越えていく一来法師が主役に見えますね。
ちなみに筒井浄妙が着ている鎧は、楠木正成が着ていたものと伝えられていますよ。
浄妙山の後ろの雲龍の文様を織った見送は、この世に2つとない紘織(かがりおり)と呼ばれる技法で織られています。
紘織を考えたのは、本山善右衛門で、文化13年(1816年)に1000日かけて74歳で織りあげたとのこと。
宙に浮いた一来法師も、ゆっくりと四条烏丸に向かって進んでいきました。
この後は、八幡山の登場です。