6月下旬に京都市右京区の龍安寺に参拝した後、仁和寺(にんなじ)に行く途中、蓮華寺にお参りをしました。
蓮華寺と言うと、左京区に建つ蓮華寺が有名ですが、右京区の蓮華寺はそことは違います。
両者を区別するために左京区を洛北蓮華寺、右京区を五智山蓮華寺と呼ぶ場合もあります。
五智山蓮華寺は、普段は参拝する人が少ないお寺ですが、境内には大きな五智如来がいらっしゃるので、仁和寺を訪れる時は立ち寄りたいですね。
五智如来
五智山蓮華寺の最寄り駅は、京福電車の御室仁和寺駅です。
駅からは、北東に5分ほど歩くと五智山蓮華寺の山門前に到着します。
西向きに建つ山門をくぐり境内に入ります。
そして、まっすぐ東に進み、まずは不動堂にお参りです。
不動堂には、近畿三十六不動尊 第十五番霊場の石造不動明王像が祀られています。
不動堂の隣に建つのは、平成27年(2015年)10月に落慶した新本堂です。
以前に蓮華寺を訪れた時はまだ工事中だったのですが、その時は何の工事をしているのかわかりませんでした。
境内の中央にいらっしゃる5体の座像が五智如来です。
中央にいらっしゃるのは、大日如来です。
太陽を示し、万物をいつくしみ、五穀豊穣の功徳を表します。
大日如来の西隣は阿弥陀如来で、極楽往生の功徳を表します。
一番西側が釋迦如来。
知恵聡明の功徳を表します。
大日如来の東隣が寶生如来(ほうしょうにょらい)。
福徳財宝の功徳を表します。
そして、一番東側が薬師如来です。
病魔を退散させ、医薬の功徳を表します。
五智山蓮華寺の不動堂にあった説明書によれば、天喜5年(1057年)に藤原康基が後冷泉天皇の御願により建立したのが当寺の起こりということです。
応仁の乱(1467年)の兵火に遭い、鳴滝音戸山の山上に移転しましたが荒廃します。
寛永12年(1635年)に江戸の豪商樋口平太夫家次が、五智不動尊の霊夢に導かれ、発心入道して常信と改名し、秩父三十四ヶ所・西国三十三ヶ所・坂東三十三ヶ所を木の実、草の根を食べながら裸足で6年間修業し、寛永18年に荒廃していた蓮華寺の伽藍堂宇を再興しました。
その際、仁和寺の宮覚深法親王より、改めて五智山蓮華寺の号を賜りました。
鳴滝から現在地に移ってきたのは昭和3年(1928年)のことです。
この時には、五智如来は山上山下に離散し痛ましい姿だったのですが、昭和33年に収集し修復をして境内に遷座安置し、現在にいたっています。
したがって、五智如来がこの地に祀られるようになったのは、お寺の歴史からみると、つい最近のことです。
他にも鳴滝に石仏群が離散していたのですが、それらも、今は五智如来の後ろに整然と並んでいます。
五智山蓮華寺では、毎年土用丑の日に「きゅうりふうじ」が催されます。
お寺でいただいたキュウリを持ち帰り、3日間朝晩、痛いところ、悪いところを真言を唱えながら、キュウリでさすると良くなるのだとか。
土用丑の日に限らず、ぜひ五智山蓮華寺にお参りをして五智如来を拝んでください。
なお、五智山蓮華寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。