平安時代の邸宅の遺跡が出土した三條烏丸御所跡

京都市中京区の三条烏丸に株式会社千總(ちそう)という友禅染の老舗があります。

近くには、三井ガーデンホテル京都三条や烏丸ビルもありますね。

この地は、平安京左京四条三坊九町跡に位置しており、三条南殿、三条烏丸御所とも呼ばれていました。

寝殿造の邸宅の遺跡

株式会社千總の前には、「三條烏丸御所跡」と刻まれた石碑が立っており、その近くには「平安京左京四条三坊跡」と刻まれた説明書もあります。

三條烏丸御所跡

三條烏丸御所跡

それによると、この平安京左京四条三坊九町は、北側を三条大路、南側を六角小路、西側を室町小路、東側を烏丸小路により四方を画された1町(約120メートル四方)の中にあったそうです。

この地は三条桟敷殿という床を持つ建物として利用されたり、左大臣の藤原実能(ふじわらのさねよし)の邸宅があったことで知られています。

昭和62年(1987年)に株式会社千總の委託を受けた財団法人京都市埋蔵文化財研究所が発掘調査を実施したところ、様々な遺跡が出て来たそうです。

平安時代に造営された島を伴う玉石敷の遣水(やりみず)と大小の景石で構成された庭園跡の一部、建物の柱跡などが検出されました。

これらは、1町規模の寝殿造の邸宅の一角をなすものと考えられており、各遺構からは瓦類、土師器(はじき)、須恵器の他に釉薬(ゆうやく)を施した緑釉陶器、灰釉陶器なども多数出土したとのこと。

中国から輸入された青磁、白磁など、上級貴族の所有を思わせるものも含まれていたそうですよ。

三条西殿や三条東殿も近くにあった

三条南殿の近くには、三条西殿三条東殿もありました。

株式会社千總の北側に建つ烏丸ビルの辺りが三条西殿で、烏丸通を挟んで東側に建つ新風館の辺りが三条東殿の跡地ですね。

三条西殿は、平安時代後期に白河上皇や鳥羽上皇が御所とした場所で、院政時代の政治の中心地でした。

ここも発掘調査で大量の屋瓦類、土器、陶磁器類が出土しています。

西国三十三所巡りの巡礼札なんかも出土したそうですよ。

また、三条東殿も白河法皇や鳥羽上皇の院の御所とされ、平安時代末期の平治の乱の舞台となった場所として知られています。

源義朝の軍勢が三条東殿を襲撃して火を放ったことから、官女たちが逃げまどい、次々と井戸の中に入って非業の死を遂げたと伝えられています。

三条烏丸は、今もビジネス街として栄えていますが、その賑わいは平安時代からずっと続いているんですね。

発掘調査をすれば、まだまだ歴史的に意義のある遺跡が出てくるかもしれませんが、ビルが建ち並ぶ現状では、なかなかそういったことはできそうにありません。

ビルの建替えがあれば、その機会に発掘調査が行われるかもしれませんね。