京都市東山区に建つ豊国神社は、その名から想像できるように豊臣秀吉を祀っている神社です。
豊臣秀吉というと、大坂城のイメージが強いですが、京都との関係が深い人物です。
京都を城郭都市とするために御土居を造りましたし、亡くなったのは伏見城だったわけで、秀吉は全盛期から晩年まで、京都で過ごしていました。
秀吉が亡くなると、その遺言により、遺体は東山の阿弥陀ヶ峰に葬られ、そのふもとに廟社が建てられ、後陽成天皇から豊国大明神の神号を賜りました。
しかし、大坂夏の陣で豊臣家が滅亡すると徳川幕府により、廟社は壊されてしまい、明治時代まで再建されませんでした。
明治天皇により再建が決定される
豊国神社の再建が決定されたのは、明治元年(1868年)のことです。
再建を決めたのは、明治天皇でした。
秀吉は天下を統一しましたが、幕府を開かなかったため、尊皇の功臣だと評価されたのがその理由です。
再建が決定されたときは、大阪城の近くに建てられる予定だったのですが、京都市民の強い要望により、阿弥陀ヶ峰のふもとの方広寺大仏殿の跡地が、最終的に再建場所として選ばれました。
秀吉が京都にいた頃、好き放題に京都を改造したり、秀頼が生まれて邪魔になった甥の秀次を切腹に追い込んだりと、当時の京都人には良い印象がなかったといわれていますが、明治になると、そういったこともなくなっていたのでしょうか。
そして、明治13年に別格官幣社として豊国神社は復興しました。
豊国神社と言えば、国宝の唐門が有名です。
その唐門越しに見る境内は、整然としています。
今まで何度も豊国神社に訪れていますが、唐門の奥に入ったことはありません。
いつも、門の前に柵があって、これ以上中に入れないようになっているんですよね。
一般公開されることがあれば、中に入って参拝したいですね。
豊国神社には宝物館もあります。
中には、秀吉の七回忌に盛大に行われた時の様子を狩野内膳が描いた豊国祭礼図屏風、高台寺蒔絵を施した桐鳳凰蒔絵唐櫃など秀吉ゆかりの品々が展示されています。
変わったものとしては、秀吉の歯もありますね。
この歯は、慶長元年(1596年)に加藤嘉明に預けたものだとか。
また、秀吉が使用していた枕もあります。
獏御枕(ばくのおまくら)というものです。
獏は悪夢を食べるという伝説上の動物で、秀吉は晩年にこの枕を寝るときに使用し、獏に悪い夢を食べてもらおうとしていたそうです。
この話を聞くと、秀吉の晩年の苦悩がわかりますね。
なお、豊国神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。
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