京都市右京区の嵯峨野の北に鳥居本八幡宮という神社が建っています。
あまり大きな神社ではなく、しかも境内は森のように木々が生い茂っているので、その存在を知っている方は少ないのではないでしょうか。
鳥居本八幡宮は、京都の夏の風物詩である五山送り火と深い関係がある神社と伝わっています。
一体、鳥居本八幡宮と五山送り火にはどういう関係があるのでしょうか。
紀良子の法要が五山送り火の鳥居形に
鳥居本八幡宮の鳥居前に到着すると、境内が木々に覆われているのがわかります。
以前は、この神社の沿革を示すものは何もなかったのですが、2011年10月に由緒書が置かれるようになりました。
その由緒書によると、鳥居本八幡宮は、応永2年7月12日に創建されたそうです。
足利義満の母の紀良子(きのよしこ)の住まいの洪恩院の鎮守とすることが目的だったようです。
足利氏が建立した金閣寺、銀閣寺、鹿王院の境内には、必ず八幡宮が祀られていたので、その関係から洪恩院にも八幡宮を建てたのではないかと考えられています。
紀良子は、鳥居本八幡宮が創建された日に亡くなっています。
由緒書をさらに読んでいくと、鳥居本八幡宮が独立の神社となるまでは、仏式で法要が行われていたことから、8月16日に良子の生家である八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)へ送り火をしていた行事が、現在この地に伝わる鳥居形の送り火の起源になったのではないかと考えられているそうです。
ちなみに石清水八幡宮が鎮座する男山のふもとには、良子が紅葉の木を寄進した善法律寺が建っており、紅葉寺の愛称で親しまれています。
多くの時代劇のロケ地として使われた境内
木々が生い茂る境内に入っていくと、再び鳥居が現れます。
その向こうには拝殿があり、さらに奥に進むと本殿が建っています。
街中で見かける神社の本殿とは違い、寂れたような感じですね。
味わいがあると言えば言えなくもないです。
実は鳥居本八幡宮は、過去に数々の時代劇のロケ地して使われています。
境内に入ってしまえば、全く近代的な建物が見えなくなるので、時代劇の撮影に適していたのでしょうね。
映画村がある太秦(うずまさ)からも近いので、立地的にも都合が良いのでしょう。
「時代劇の風景」というWEBサイトによると、鳥居本八幡宮は、必殺シリーズで何回も登場したそうです。
上記サイトの下記ページにどの時代劇のどんなシーンで鳥居本八幡宮が使われたのか詳しく書いていますので、一度ご覧になってください。これだけ詳しく調べるのには、かなりの手間がかかっているのではないでしょうか。
今では、テレビで時代劇がほとんど放送されなくなっているので、鳥居本八幡宮もメディアへの露出が減っていることと思います。
毎年8月16日の五山送り火の時は、鳥居本八幡宮のことを思い出し、お参りしてみてはいかがでしょうか。