興正寺と興正寺本廟

京都市下京区の西本願寺は、街中にあって広大な敷地を有しています。

堀川通を北から南に歩くと、その広さが十分に分かりますね。

堀川通と七条通が交差する辺りまで築地塀があるので、最初はそこまでが西本願寺の敷地だと思っていたのですが、実は南の方は西本願寺ではなく興正寺の敷地であることに気付きました。

2つの創建の言い伝え

興正寺の創建については2つの言い伝えが残っています。

興正寺

興正寺

ひとつは、正中元年(1324年)に了源が山科に建立したのが始まりという説です。

もうひとつは、建暦2年(1212年)に親鸞が山科に建立したのが始まりとする説です。

順徳天皇から興隆正法寺の寺号を賜り、それが省略されて興正寺になったと伝えられています。

その後、興正寺は、山科から渋谷通に移転した時に仏光寺と改名されました。

本願寺からの独立

文明年間(1469年-1487年)に仏光寺14世の経豪(きょうごう)が、仏光寺を去って本願寺の蓮如に帰依します。

そして、旧地の山科にお寺を建立し、以前の寺名の興正寺を継ぎました。

その後は、天文法華の乱で一時的に大坂に移りましたが、天正19年(1591年)に本願寺とともに京都に戻り、現在地に定まりました。

江戸時代に本願寺が東西に分裂した後は、西本願寺に属していましたが、明治9年(1876年)に宗論の違いが原因で、西本願寺から独立したそうです。

現在の興正寺が、西本願寺の一部であるように見えるのは、以前、西本願寺に属していたからなのでしょうね。

東山に建つ興正寺本廟

興正寺は、西本願寺の隣だけでなく、東山にも別院の興正寺本廟が建っています。

興正寺本廟

興正寺本廟

興正寺本廟は、親鸞の御骨が収められており、また、全国門信徒の総納骨所でもあるそうです。

そう言えば、東西本願寺の親鸞の廟所である大谷祖廟と大谷本廟も東山にありますね。

また、興正寺本廟の案内板を読んでいると、この地が霊山(りょうぜん)と呼ばれているのは、釈迦が初めて説法した霊鷲山(りょうしゅぜん)に似ていることが由来だと書かれていました。

なるほど、ひとつ勉強になりました。

西本願寺は世界文化遺産に登録されていることから、京都観光の際に訪れる方が多いと思います。

そのついでに隣の興正寺にも訪れてみてはいかがでしょうか。

また、東山観光の際にも、大谷本廟、大谷祖廟、興正寺本廟の3つにお参りしてみてはいかがでしょうか。

宿泊