以前、このブログで、新京極通のお寺や神社について紹介しました。
新京極通はアーケード街となっていて、その西側の通りである寺町通もアーケード街となっています。
寺町というと一般的にこのアーケード街をさすことが多いのですが、今回はアーケード街より北の方の京都御苑付近の寺町通に並ぶお寺を紹介したいと思います。
寺町の由来
寺町を歩く前に簡単に寺町の由来を紹介しておきます。
安土桃山時代、豊臣秀吉は京都を改造します。
秀吉は、京都に御土居と呼ばれる城壁を建設して、洛中と洛外を明確に分け、市街地を機能的に区画していきます。
区画整理には、公家町の建設などがあり、そのひとつにお寺を密集させた寺町の建設もあったわけです。
今の京都の街並みは、秀吉が区画整理した時の市街地が基礎となっていると言われています。
そして、寺町通は北は地下鉄鞍馬口駅がある鞍馬口通から南は地下鉄五条駅がある五条通あたりまで続いており、通りの周りにはたくさんのお寺が建っています。
今回、散策する京都御苑付近の寺町通は、地下鉄に乗車して丸太町駅で下車し、東に10分ほど歩いた場所にあります。
ここから京都御苑を左に見ながら北上し、地下鉄鞍馬駅付近までお寺を観ていきたいと思います。
廬山寺
丸太町通と交差するあたりから寺町通を北上して行くと新島襄旧邸や京都市歴史資料館といった建物が右手に見えます。
そのまま、まっすぐ進み京都御苑のちょうど中間あたりに廬山寺が建っています。
廬山寺は、平安時代に紫式部が住んだ邸跡に建っており、源氏物語はこの地で執筆されたと言われています。
境内には、源氏庭があります。
清浄華院
廬山寺のすぐ近く建つお寺が、清浄華院(しょうじょうけいん)です。
不動堂にある不動明王画像は、身代り不動と呼ばれています。
僧の証空が師の重篤に立ち会った際、自分が身代りになろうとしたところ不動明王が現れて身代りとなり、師を救ったと伝えられています。
本満寺
清浄華院を過ぎ、今出川通を横切って、しばらく行ったところに本満寺が建っています。
徳川吉宗の病気平癒の祈願を当時の住持が行ったことから、以後徳川家の勅願寺となりました。
本満寺の境内には、子院が複数建っています。
十念寺
本満寺の北側に建つ少し変わった建物が十念寺です。
本尊の阿弥陀如来は空海が彫ったものと伝えられています。
阿弥陀寺
本満寺、十念寺と3つ並んで建つ一番北側のお寺が阿弥陀寺です。
阿弥陀寺には、本能寺の変で亡くなった織田信長とその家臣たちのお墓があります。
阿弥陀寺を過ぎて鞍馬口通に出たところで、寺町通は終わりなのですが、その付近にもお寺が建っているのでいくつか紹介しておきます。
上善寺
鞍馬口通を横切って北に少し歩いたところに上善寺が建っています。
上善寺は、京都六地蔵巡りのひとつです。
その昔、小野篁(おののたかむら)が死んで冥土に赴いた時に生身の地蔵尊を拝んで、この世に戻ってきたそうです。その後、小野篁は六体の地蔵を彫り、その一体が上善寺に安置されています。
ちなみに小野篁は六道の辻でも有名ですね。
閑臥庵
上善寺から少し西に歩くと閑臥庵(かんがあん)というお寺が建っています。
閑臥庵では、黄檗宗の精進料理の普茶料理を召し上がることができます。
以上で京都御苑から鞍馬口通付近までの寺町散策は終了です。
閑臥庵から西に少し歩いたところに鞍馬口駅があるので、そこから地下鉄に乗車して京都駅に戻ることができます。
今回紹介した多くのお寺は、観光寺院ではないので、境内に入れないお寺もあります。
なので、少し物足りない感じもしますが、意外と京都らしい町並みが残っているので、京都御苑に観光でお越しの際い、寺町も歩いてみると京都の風情を楽しむことができますよ。